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TORENDIA

近藤浩一路氏

本文約690字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

漫画家から日本画家へ転身した近藤浩一路の画風と芸術家としての姿勢を論じる。漫画と山水画の境界を越える表現力や、南画に見られる肉感的な貪欲さを指摘する。また、神経衰弱に苦しんだ過去と現在の健康な様子、そして名声を得て変化した自身の容姿や持ち物を通じ、流俗に満ちた現代を生きる芸術家の修業のあり方を考察する。著者の視点から見た近藤の人間性と、その作風に潜む力強い野心が描き出されている。

芥川龍之介

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🎧 近藤浩一路氏 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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近藤君は漫画家として有名であった。今は正道を踏んだ日本画家としても有名である。

が、これは偶然ではない。漫画には落想の滑稽な漫画がある。画そのものの滑稽な漫画がある。或は二者を兼ねた漫画がある。近藤君の漫画の多くは、この二者を兼ねた漫画でなければ、画そのものの滑稽な漫画であった。唯、威儀を正しさえすれば、一頁の漫画が忽ちに、一幅の山水となるのは当然である。

近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆるものから養分を吸収しようとする欲望が、露骨に感ぜられるのは愉快である。

今日の流俗は昨日の流俗ではない。昨日の流俗は、反抗的な一切に冷淡なのが常であった。今日の流俗は反抗的ならざる一切に冷淡なのを常としている。二種の流俗が入り交った現代の日本に処するには、――近藤君もしっかりと金剛座上に尻を据えて、死身に修業をしなければなるまい。

近藤君に始めて会ったのは、丁度去年の今頃である。君はその時神経衰弱とか号して甚意気が昂らなかった。が、殆丸太のような桜のステッキをついていた所を見ると、いくら神経衰弱でも、犬位は撲殺する余勇があったのに違いない。が、最近君に会った時、君は神経衰弱も癒ったとか云って、甚元気らしい顔をしていた。健康も恢復したのには違いないが、その間に君の名声が大いに挙り出したのも事実である。自分はその時君と、小杉未醒氏の噂を少々した。君はいが栗頭も昔の通りである。書生らしい容子も、以前と変っていない。しかしあの丸太のような、偉大なる桜のステッキだけは、再び君の手に見られなかった。――

完

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