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TORENDIA

ピークハンティングに帰れ

本文約2,000字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

スポーツアルピニズムが隆盛する登山界において、頂きを度外視し、困難なルートのみを追い求める近年の風潮を批判的に論じる。著者は、手段としての登山技術に固執し、山そのものの頂を目指す登山の本来の目的を見失う姿勢を「病的な趣味」と指摘する。困難を克服し頂上に到達する過程にこそ真の登山の悦びがあると主張し、自己の創意工夫をもって山に向き合う健全なピークハンティングへの回帰を提唱する評論である。

松濤明

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スポーツアルピニズムは登山界を風靡している。登山といえばまずスポーツ登山のことであり、国内の登山はもとより、未踏のヒマラヤへのエクスペディションすらこの範疇で行なわれようとする勢いである。事実、登山行動にはスポーツ的感興が常に伴うものであるが、それがわれわれの時代感情にマッチしたところに、スポーツ登山今日の隆盛は根ざしているといえよう。

スポーツ登山の眼目はスポーツ的感興の意識的追求である。それを登山の枠内で行なうというのである。すなわち、内容的スポーツであり、形式的には登山である。この構成が本来のスポーツ登山を規定する。ところが、その内容としてのスポーツ性のみに捉われて、近来ややもすれば登山という形式を逸脱しがちな傾向が認められる。たまたま見受けられる「頂きを度外視した」ルートハンティングがその好例である。「頂きはもはや何ものでもなくなった」一部のスポーツアルピニストたちはそう言って頂きの没落を唱える。「われわれの求めるものは山の手強さであり、頂きよりはむしろ側面である」彼らの考える山はとかく五色の千代紙を三角に扱ったようなものであることが多い。下辺も頂点も等しく紙であることには変りはない。そして彼らは――たとえば――赤いところを登りたがる。合理主義者である彼らは無駄をはぶく。赤いところから赤いところへ、なろうことならば赤いところだけ通って歩こうとする。頂きなどはたいてい赤くないから一顧も与えられない。その手前から戻ってくるか、さもなければ捲いてしまう。これに反して赤いところならば、どんなところでも見逃さない。河原に転がっている大岩や、藪に埋もれた巨たる岩場や、まかり間違えば大都会のビルや石垣さえ登りかねない。

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