日本に生れた以上は
本文約6,000字 ・ 読了時間 約12分
あらすじ(AIが作成しました)
愛国心という言葉が現代の社会で不当に解釈され、歪められている現状に対し、その危うさを論じる。本作では、日本という国家の美点や欠点を冷静に見つめ、周囲に溢れる似而非愛国者や無意識的な非国民の存在に警鐘を鳴らす。日本人が互いに信じ合えていないという閉塞感や、個々の弱点を自覚した上での真の国への向き合い方を考察し、国民として理想を追求することの重要性を説く。
💰 この本を応援する(投げ銭)
さあ、僕はどういふ風に云はうか?
林君は熱情を見事に整理しつつ雄弁を振つてゐる。森山君は、縹渺たる感懐をリリカルな思考に托してゐる。何れも文学者らしい態度で堂々とこの課題を征服した。
僕は、率直に云ふ。林君にはまだついて行けないし、森山君には少し焦らされた。
かういふ問題は、といふよりも、「愛国心」といふやうな言葉に対しては、文学者共通の潔癖から、まづ一つのポオズを択んで物を云ふやうになる。そこが興味のあるところであらうが、出題者の意図はどこにあるにせよ、僕は、この問題を、まだ「文学者的」に取扱ふ用意ができてゐない。
憂国精神、愛国心、祖国愛、国民の真情、日本を愛する気持、母国を懐しむ心、と、かう字引のやうに書き並べてみて、その間に可なりのニユアンスがあることはもちろん、語感の上では、殆んど右と左のやうに違ひがあることを発見する。
殊に、最初の二つの言葉は、林君の使つてゐる意味を、正当に解釈させることが必要である。
僕も人並に、この「愛国心」といふ言葉には照れる方であるが、それは照れるのが間違ひなのだと思ふ。現代の日本語のうちで、文学者に毛嫌ひされてゐる言葉が可なり多く、それは、一般の日本人、殊に、無教養な政治家やジヤアナリストが、勝手に言葉のイメエジを決定し、不純な概念を附け加へることを平気でやり、これを是正する「機関」がないために、民衆の間にすぐこれが伝播してしまふからである。専門的用語でさへ、これを戯画的に使用することが流行し、いつの間にか、本来の意味が忘れられてしまふ。自然主義、享楽主義、自由主義等皆然りである。
文学者は、かういふ風にして、国語の使用権を狭められてゐるのみならず、言葉を毛嫌ひすることによつて、実体を疎んずる結果を招いてゐることさへある。