生活から学ぶ
本文約550字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
幼少期から青年期にかけて両親より身につけさせられた、長時間立っていても苦にならない習慣について綴る。作者は、乗物の中で席を争う風潮や、弱者に席を譲らない若者の姿に疑問を呈し、文明人としての振る舞いには立ち続ける習慣が必要だと説く。背筋を伸ばし、ぐったりとせずに立つという教えが、瘠せ我慢と美学によっていかに定着し、老年に至るまで自身の生活を支えているかを振り返る随筆である。
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わたくしが子供の頃から身につけた習慣といえば、一般日本人なみの習慣以外になにもこれといつて取り立てて言うほどのことはない。たゞ、今から考えて、これだけはもつと多くの日本人がそうであつたら、と思うような、ごく些細なことだが、案外人の気のつかない習慣を、わたくしは少年期青年期を通じて植えつけられた。現在、老年に達しても、その習慣がさほどの無理もなく続いていて、人から不思議がられることがある。
それはなにかというと、一時間や二時間は立つていることがすこしも苦にならないことである。
乗物のなかなどで、人々が争つて席を占めようとするのを見ていると、わたくしは、なぜそんなに争つてまで腰をかけたいのかと思う。また、若い男が腰をおろし、そのそばに老人や女がつつ立つているのを見ると、どうもおかしいような、恥かしいような気がする。立つて席を譲るのが当り前で、そんなことは文明人なら、みんなやることである。若い男が道徳を知らないわけではない。そういう習慣、ことに、立つことが平気だ、という習慣がないためだと思う。
少年時代に、わたくしの両親が、男の子はどんな場合でも、ぐつたりしないで、しやんと立つているものだと厳しく教えこんだのである。瘠せ我慢と、すこしばかりの「おしやれ」がついに、この習慣を生んだのである。
完