芝居と生活
本文約5,400字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
明治大学で開催された演劇研究会の講演で、演劇と実生活の関連性を論じる。かつて娯楽であった芝居から足が遠のいた知識階級は、日常生活の中に儀礼的・芝居的な要素を強めている。現代において演劇は単なる舞台上の芝居ではなく、舞台の上に「生活」を表現することが求められる。日本文化が健全に進む中で、舞台上の生活と現実の生活が交流し、新しい演劇が発展していく可能性について考察する。
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「芝居と生活」といふ題をつけましたが、これは非常に突嗟に付けたのでありまして、かういふ表題なら何ういふことでも喋れるだらうと思つたからです。
元来、言葉といふものは時代が進むに従つて、同じ言葉が非常に複雑な意味を持つやうになります。芝居といふ言葉、生活といふ言葉と、かう二つ並べましたが、何れも現代に於いてかなり面倒な言葉になりました。昔は芝居を観に行くと言へばそれで通用したのであります。ところが今、芝居を観に行く、といふと、それを聞いた人は、どんな芝居を観に行くかといふ疑問を直ぐ起したり、どういふ種類の芝居を観に行くかその観に行く芝居の種類に従つて相手の人間を判断出来るやうな時代になつて来ました。ですから今では、芝居を観に行くといふ言葉は殆んど実際に於ては使用されない。例へば歌舞伎へ行く、東宝へ行く、或は築地小劇場に行く、さういふやうな言ひ方をします。故に芝居といふ言葉が余程特別の意味を付けなければ通用しない時代がもう直ぐ来るだらうと思ひます。また生活といふ言葉も同様であります。生活に困るとか、生活の為に何々をするといへばはつきり判るのですが、「あの男は生活をもつてゐる」「あそこには生活がある」と言ふやうな言ひ方は此処にお集りの諸君にはその意味がお判りになると思ひますが、判らない人が日本には沢山あると思ひます。例をとるならば、恐らく日本中の代議士の九分迄は判らないでせう。(拍手・笑声あり)
さういふ風なやゝこしい言葉が今日どうしても必要なんです。それを使はなければ意味の通じないことが沢山あります。幸ひかういふやうな集りでは、我々が言はうとしてゐることが聴衆の皆さんにはピンと響くだらうと、確信を以て喋れるのは非常に愉快であります。