劇作を志す若い人々に
本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
劇作を志す若者に向け、著者自らの知見に基づき劇作家たるべき道を説く。芸術としての「art」と技術としての「mtier」の定義を論じ、戯曲鑑賞における作品の構造的分析や文学史的視点の重要性を指摘する。また、舞台上の因襲に囚われず、作家独自の眼差しで人生を捉えることこそが、戯曲の真の美を発見し傑作を生むための修業の要諦であると主張する。創作の心得と姿勢を綴った提言である。
💰 この本を応援する(投げ銭)
自ら劇作家と名乗る資格があるかどうかわからないものが、劇作家たるべき道を説くことは甚だ可笑しいと思ひますが、私を一個の劇作家と見立てゝ、かういふ課題を与へた本誌編輯者の、表面的な責任の蔭にかくれ、私は、自分の信ずるところを述べて見ませう。
一体、「劇作家になる」といふこと、それ自身が問題なのです。
或る批評家の説によれば、「劇作家は生れながらにして劇作家である」べきださうです。此の点、電気技師や小説家が、修業によつてその道に至り得るのとは、根本に於て違ひがあるやうに思はれます。
しかし、此の説は、大きなパラドツクスが含まれてゐる。われ/\が、常に天稟の素質の前に頭を下げなければならないなら、腕を拱いて死を待つより外ないのです。
此の批評家が、何故に、劇作家だけが特に、「生れながら」劇作家でなければならないと主張するか、それは、劇作家だけが、当今、「誰でもなり得る」ものと信じられてゐるらしい風潮を揶揄したものであらうと思はれます。
ある批評家はまた、劇作に於ける art と mtier とを区別して、作家の素質を論じてゐます。前者は云ふまでもなく芸術であり、後者は技術です。云ひかへれば、前者は霊感に属し、後者は、「思ひつき」に属すとも云ひませうか。或はまた、前者は先天的才能に負ふところが多く、後者は、職業的熟練に俟つべきものと云へば云へませう。
なるほど、かういふ風に考へれば、古今の劇作家について、一応その素質を吟味することができます。日本の現代作家についてもまた興味ある批判が加へられることゝ思ひます。
「劇作家は生れながら劇作家でなければならぬ」といふ議論も、結局、技術だけを生命とする劇作家は、真の劇作家とは云へないといふ主張が裏づけられてゐると見てよろしい。