一対の美果
本文約6,100字 ・ 読了時間 約13分
あらすじ(AIが作成しました)
小川正子の手記「小島の春」は、長島の国立癩療養所に職を得た女医が、各地の患者を訪問した七年間の記録である。この作品は、著者自身による患者の生活実態や悲劇的な挿話の描写を通じて、救癩事業の現状と、日本社会に根深く残る家族制度や恩愛の絆を浮き彫りにする。専門の作家ではない著者が、人間としての素直な感性で綴った文章は、昔の日記文学に通ずる風趣を湛え、精神と行為が融合した報告文学として、近代文学に新たな価値を見出している。
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一
近頃読んだいろいろな文章のなかで、私が特にこゝでその読後感を述べたいと思ふのは、それが今の私にとつて可なり重要な問題を含んでをり、それのいづれからも非常に珍しい感動をうけ、しかも、それらが揃ひも揃つて、所謂「非職業作家」の手になつたところの、甚だ示唆に富んでゐる二つの「記録」である。
先づ最初にあげたいのは、女医小川正子さんの手記「小島の春」である。もう大ぶん前のことだが、何気なく家人がそれを読むのを聴いてゐるうちに、私は、これはえらい本が出たと思ひ、感興の深まるにつれて、この本は是非日本の多くの人に読ませたいといふ気になつた。私は暇を得て、それをもう一度読みなほしてみた。ところが、あるところまで読みすゝんで行くと、私は文字どほり泣かれてしまひ、それも、ひとところふたところといふのではなく、ほとんど読み終るまで涙を拭くひまがないくらゐであつた。こんなことは私は未だ嘗て経験したことはない。尤も、たまには、下らぬ芝居や講談などでつい涙ぐむやうなことがあると、きまつて後で腹のたつことうけあひで、さういふ効果をねらつた一切のものを私は排撃して来たのである。しかし、私は断言するが、この「小島の春」からうけた強烈な印象は、決してさういふ後口のわるいものではなく、寧ろこの感動の純粋さは、自分の心がたえず求めてゐる素朴さをやつととりかへした証拠だといふ風にみたのである。
著者の「後記」はこんな文句ではじまつてゐる。
「いつの事であつたらう。園長先生が検診行の記録は全部くはしく書いて置きなさい。時がたつとその時の気分がうすらいで千遍一律の物になつてしまふから「その度々直ぐに書き残しておくんですな。土佐日記は出来てますか」と仰言つた。私が目を丸くして先生の後に突つ立つて居ると「出張してその報告書を提出するのは官吏としての義務ですよ」と重ねて仰言られた。義務といふお言葉が強く心に残つた事がいま忘れられない。さうして拙い手記が出来上つた。」
また、かういふ一節がある。