支那人研究
本文約2,600字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
支那人への正確な認識を求める風潮に対し、著者は日本人が相手を深く理解する以前に、まず自己の特質や性癖を省みるべきだと説く。日中間の摩擦を支那人の流儀の不理解に求めるのではなく、日本人が自分本位に物事を判断し、単純に物事を律する姿勢そのものに問題があるとする。日支両国民の関係において、相手を分析するだけでなく、自らの人間心理の機微を自覚反省する思想的鍛錬が不可欠であると論じる。
💰 この本を応援する(投げ銭)
私は近頃支那人について語られてゐる文章を読む機会が多いのであるが、やはり永く支那にゐて親しく彼地の人々と接した経験が土台になつてゐるやうな意見には、なかなか傾聴すべきものが多い。
この種の研究や紹介が時に目につくといふのは、私自身、これまであまり支那及び支那人について識ることが少なかつたところから来てゐるが、さういふ気持を多くの日本人が持つてゐるところへ、ヂヤアナリズムが抜目なく一般の要求に応へる記事を絶やさぬやう心掛けてゐるためでもあらう。
支那人に対する正確な認識をもつことは、まことに日本人にとつて刻下の急務に違ひない。支那人が日本人の特質をあまりよく識らぬと同様に、日本人が支那人の心理、風習を深く究めてゐないところから、思はざる様々な誤解が生じ、誤解が積り積つて遂に取返しのつかぬ紛争を捲き超したのだといふ風な考へ方は、まさに時局の一解釈に相違ないのである。
殊に今後の大陸経営、乃至は、両国の親善提携の条件として、この問題が両国識者の間で真面目に取りあげられることは甚だ好ましい傾向だと私はひそかによろこんでゐる次第であるが、さて、前に述べたやうないろいろな経験者の支那人観なるものを読んでゐるうちに、私は、一つの大きな疑ひにぶつかつた。
それは外でもない。われわれ日本人はいつたい対手たる支那人を識る以前に、自分自身をもつとよく識つておく必要があるのではないかといふことである。
日本人は支那人のかういふところを知らぬから、かういふ不都合な結果が生じたといふ風に教へられる。なるほど一応は尤もだと思ふ。ところが、さういふ不都合な結果が生じたのは、実際は、支那人のある特別な流儀を知らぬからといふよりも、寧ろ、日本人がなんでも自分本位に物を考へ、一事を以て全般を律する癖があるところから来てゐるのではないかといふ気が私はするのである。
その証拠に、支那人は概してかういふ風だと云はれてみても、さういふことを単に知らないために大きな間違ひが起りさうなことはひとつもないのである。