スポーツの美的要素
本文約8,700字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
スポーツの美的要素は、競争性と筋肉操作という二つの要素が複合的に組み合わさることで構成される。本作は、量的比較に基づいた厳密な秩序としての競争性が生む数学的快感と、筋肉が自らその行為を評価する際に現れる技術的な身体の型を論じる。これらの要素を「衝動ある秩序」と位置づけ、スポーツを単なる遊戯の域を超えた、新しい時代の組織や芸術の形式として提示する。
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スポーツが人々によって研究され始めたのは、それを遊戯の一部としてであった。遊戯論については多くの人々が関心をもっている。それを今類別するならば大体五つに分れるかと思う。まず第一は剰余エネルギー論というべきものである。シラーが『人間の美的教育論』にのべており、スペンサーがその『心理学原論』にのべ、ジャン・パウル、ベネケ、シェリー、グラント・アレン、カール・ミュラー、ハドソン、パウル・スーリアン等が支持するところのものである。それは余れるエネルギーの放散のために、有用ならざる行為を人間がする。それが遊戯であるという考え方である。シラーの考え方はこれを浪漫派の愛好する甘き無為にまで関連せしめる。
第二は生活準備説ともいわるべきカール・グロース、チーグラー、ワイズマン等によって支持さるるものである。それは第三の自然的遺伝的本能説(ウォール、ヴント)と関連して、動物の生存本能としての猟、戦、育児、模倣等の一つの表現であると考える。
第四はラツァルス、スタンダール等の気晴らしのためという考え方、すなわち一方の機能の過度の使用によって来る疲労を他の用いざる機能の使用によって回復せしめるために遊戯があるという考え方である。
第五はパトリック等によって支持さるる精神分析的に「抑圧の開放」の意味における遊戯の解釈である。
私は今スポーツの美的要素を分析するにあたって、これらの遊戯論の一々に深入りすることをむしろ避けよう。ただそれらのものが一つの本能であるとして記述され、そのもたらす快感は本能の満足にあると解釈されていることを注意しておきたい。本能の概念は、リップスが自らそれを学問の屑籠といったがごとく、それに投ずることであたかもすべての問は掃蕩されつくしたるごとくその進行を停止している。むしろそこから私達はバトンを受取り彼等のゴールラインを私達のスタートラインにすべきではないかと思われる。
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