御返事(石原純君へ)
本文約860字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
石原純から届いた短歌結社誌『立像』への感想を求める手紙に対し、寄せられた書簡。詠まれた短歌を読み解く過程で自身の不思議な夢を想起し、既存の形式に捉われない新たな詩の世界を追求する姿勢について論じる。同時に、難解な表現や誇張に対する率直な疑問を呈し、より伝わりやすい言葉で独自性を高めることの重要性を説くことで、新しい詩形の創造に向けた助言と展望を綴る。
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御手紙を難有う。『立像』の新短歌について何か思ったことを書けとの御沙汰でしたから手近にあった第三号をあけてはじめから歌だけ拾って読んで行きました。読んでいるうちにふと昨夜見た夢を想い出したのです。
見知らぬ広い屋敷の庭に大きな池がある。大きな船が浮んでいる。それが船のようでもあり座敷のようでもある。天井がない。今に雨が降り出すと困るがと思っていると、自分がいつの間にかその船に乗って天幕を張ろうとしている。それが自分のようでもあり、友人のようでもある。非常に淋しい気がした。池が消えて夜の街の広場が現われる。空に一本水平に綱が張ってあるその上を玩具の馬のようなものが渡って行く。かちゃんと落っこってバラバラに毀れた。それをまた組立てて綱渡りをさせるのが自分の責任だがどうしたらよいかと思い惑っていると、周囲のラウベンコロニーの青い小屋からドイツ人の男女がぞろぞろ出て来た。
なんだかこんな風な夢であったのですが、今この新短歌を読んでいると、不思議にこの夢を想い出し、そうしてこれらの詩の中に私の夢のどうしても想い出されないかけらが隠れているのではないかという気がするのです。
『立像』の詩はおそらくそういう風な、常套の言葉で現わしにくいものを表現しようと狙っているのではないかという気がしました。
ただ、見馴れない吾々にはどうもあまりひねり過ぎたと思われるような、あるいは無用に誇張したと思われるような辞句が目に立って、却って感興をそがれるような気のするのもありました。一体にもう少し修辞法を練る余地があるのではないかと思われました。
日本の従来の「短歌」とは形式ばかりでなく内容的にも大分ちがった別物とは思いますが、こういう新しい詩形に固有な新しい詩の世界を創造して行くのは面白いことだろうと思われます。それにはもう少し誰にも分かりやすい言葉で誰の頭にもぴんと響くようなものを捕えて来るのが捷径ではないかという気がしますが如何でしょうか。
思いつくままを書きました。門外漢の妄語として御聞き捨てを願います。
(昭和九年七月『立像』)
完