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TORENDIA

高浜さんと私

本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

高浜虚子との半生を振り返る随筆。熊本から上京した際、根岸の鶯横町で出会った第一印象や、正岡子規の写生画にまつわるエピソード、夏目漱石邸の文章会での思い出を綴る。さらに、自身の作品が初めて掲載された際のエピソードや、かつての面々との会食、虚子の作風に対する独自の考察などを通じ、長年の親交と思慕の念を記す。筆者の記憶を辿りながら、時代の空気を伝えると同時に、対象への敬意と親しみが込められた作品である。

寺田寅彦

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🎧 高浜さんと私 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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高浜さんとはもうずいぶん久しく会わないような気がする。丸ビルの一階をぶらつく時など、八階のホトトギス社を尋ねて一度昔話でもしてみたいような気のすることがある。今度改造社から「虚子の人と芸術」について何か書けと言われたについて、その昔話をペンですることにする。

三十余年前のことである。熊本の高等学校を出て東京へ出て来るについて色々の期待をもっていたうちでも、一つの重要なことは正岡子規を訪問することであった。そうして、着京後間もなく根岸の鶯横町というのを尋ねて行った。前田邸の門前近くで向うから来る一人の青年が妙に自分の注意を引いた。その頃流行った鍔の広い中折帽を被って縞の着物、縞の羽織、それでゴム靴をはいて折カバンを小脇にかかえている、そうして非常にゆっくり落着いて歩いて来るのである。その時私は直感的に、これが虚子という人ではないかと思った。その後子規の所で出会ってその直感の的中していたことを知ったのである。中折帽に着流しでゴム靴をはいて、そしてひどく考え込んだような風でゆっくり歩いて来る姿をはっきり覚えているように思うのであるが、しかし、これはよくある覚えちがいであるかもしれない。それから前垂のようなものを着けていたような気もするがこれはいっそう覚束ない。

子規に、その写生画を見せてもらっているうちに熟柿を描いたのがあった。それに、虚子曰く馬の肛門のようだ、という意味の言葉がかいてあった。私が笑ったら、子規は、いや本当にそう思ったのだから面白いのだと云って虚子のリマークを弁護したのであった。

子規の葬式の日、田端の寺の門前に立って会葬者を見送っていた人々の中に、ひどく憔悴したような虚子の顔を見出したことも、思い出すことの一つである。

千駄木町の夏目先生の御宅の文章会で度々一処になった。文章の読み役は多く虚子が勤めた。少し松山訛の交じった特色のある読み方で、それが当時の『ホトトギス』の気分と密接な関係のあったもののように感ぜられる。

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