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TORENDIA

幕末維新懐古談

本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

宮城前にある楠公銅像の製作過程と、その歴史的考証の試みを綴る。明治二十三年、住友家の依頼により美術学校が製作を担い、著者が主任を務めた。忠臣楠正成が後醍醐天皇を迎え奉る勇姿を形にするべく、図案を募集し、歴史家や故実家を交えて入念な調査を行う。遺品が乏しい中で兜の鑑定や服装、体格、乗馬の考証に至るまで、多人数による研究の積み重ねを経て、楠公の智謀と奉公の志を表現するに至った経緯を描く。

高村光雲

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🎧 幕末維新懐古談 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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宮城前なる馬場先門の楠公銅像についてお話しましょう。

この銅像のことについては世間でまちまちの噂があります。

この楠公像は高村光雲が作ったのだといい、また岡崎雪声氏が作ったのだとも専らいわれている。時が過ぎ去りますと、いろいろこういうことには間違いが出て分らなくなりますから、今日は詳しくこの事についていい置こうと思います。

大阪の住友家の依頼で、明治二十三年四月に楠公像の製作は美術学校が引き受けてやり出したのであります。そうして右製作の主任は私でありました。

これは住友家の所有である別子銅山の二百年祭の祝賀のために、別子銅山より採掘したところの銅を用いて何か記念品を製作し、それを宮内省へ献納したいというところから初まったのでありました。そして右製作のことを美術学校に持ち込んで来たのであった。

それで、どういうものを製作するかということについては、私は与り知りませんでしたが、いろいろ撰定の結果楠公の像を作るということに決定しました。楠氏は申すまでもなく我邦有史以来の忠臣、宮内省へ献納する製作の主題としてはまことに当を得たものでありましょう。ところで忠臣楠氏の銅像ということに決まったが、どういう形にして好いか、ただ、立っているとか、坐っているとかでは見たてがないので、楠公馬上の図ということに決まりました。それで、この馬上の図をば、一個人の考案でなく、学校内の教員生徒を通じて広く人々の図案を募集することになりましたので、その募りに応じた図案が余り沢山ではなかったがかなり集まりました。その中で当選したのが岡倉秋水氏の図案であった(秋水氏は第一期優等の卒業生)。まずこの当選の図案を基として楠公像を作るということになったのでありますが、右図案は、楠公馬上の側面図でありますから、これが全身丸で彫刻製作されるとなると、原図案とはまた異ったものとなることであるが、概ねこの原図によったものでありました。

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