ディカーニカ近郷夜話 前篇
本文約14,100字 ・ 読了時間 約29分
あらすじ(AIが作成しました)
女帝への国書を預かった哥薩克の祖父は、旅の途中で陽気なザポロージェ人と出会い、酒宴に興じる。その後、悪魔が潜むと噂される不気味な夜の森へ足を踏み入れた祖父は、断崖から転落し、気がつくと自らの屋根の上に投げ出されている。この不可解な体験の後、祖父は無事に任務を果たすが、留守中の妻は理由もなく踊り続ける奇妙な症状に悩まされるようになる。語り手であるフォマ・グリゴーリエッチが、自身の身内にまつわる不思議な夜の出来事を語る物語である。
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ぢやあ、もつとわしの祖父の話を聴かせろと仰つしやるんで?――よろしいとも、お伽になることなら、なんの、否むどころではありませんよ。ああ、何ごとも昔のこと、昔のこと! 遠い遠い、年代や月日のほども聢とはわかりかねる大昔にこの世にあつた話を聴く時の、嬉しさ娯しさといつたら! ましてやそれが、祖父とか曾祖父といつた自分の身内の者の登場してくる話ででもあらうものなら、それこそ――自分が曾祖父の魂のなかへ潜りこむか、それとも曾祖父の霊が自分の中へ忍び入るかして、まるで自分自身に経験したことのやうな思ひがされるものぢやて。それが嘘だつたら、大殉教者ワルワーラ尼の讃仰歌を唱へるとき、わしが窒息してしまふやうに手を振つて呪禁つて下すつてもよい……。いや、わしには何より娘つ子や新造が苦手なんでしてな、あの手合に見つかつたが最期、『フォマ・グリゴーリエッチ! フォマ・グリゴーリエッチ! ようつてば、なんか怖いお話をして下さいつたら? ようつてば! ようつてば!……』つてんで、ねだること、ねだること……。決して聴かせるのを吝むわけではないが、晩に寝床へ入つてからあの連中がいつたいどんなことになるかを考へて頂きたい。どれもこれも蒲団の下でまるで瘧でもわづらつてをるかのやうにガタガタ震へて、まだその上に、自分の毛皮外套のなかへ頭を突つこみかねないことを、ちやんとわしは知つてゐるのぢや。鼠が壺をバリバリ引つ掻くとか、自身で火掻棒につまづくとかすると――さあ大変だ! 魂は踵のなかへ飛びこんでしまふのぢや。ところが、あくる日になると、もうけろりとして、又してもうるさく附き纏つて来る。そこでまた改めて何か怖ろしい話をして聴かせるより他に手はないといふことになるのぢや。それは扨て、あなた方にはどんな話をお聴かせしたものかな? どうも、おいそれとは頭へ浮かんで来ませんぢやて……。おお、さうぢや、今は亡きわしの祖父が妖女と*阿房の勝負をやらかした話を一つ聴かせませう。ただし、前もつてお断わりしておきますが、どうか、中途で話の腰を折らないやうにお願ひいたしたい。でないと、とんでもない不味いものが出来あがつてしまひますからな。さて、亡きわしの祖父は、その頃の普通の哥薩克とは、てんで異つてをりました。彼はスラブ語の綴りから、正教会用語の略語標の置き方まで、ちやんと心得てゐたものぢや。祭日に使徒行伝でも読ませようものなら、今どきのそんじよそこいらの祭司の息子などは裸足で逃げ出してしまふくらゐ。御承知の通りその頃といへば、*バトゥーリンぢゆうから読み書きの出来る手合をすつかり狩り集めて来たところで、帽子でと言ひたいところだが、なんの、片手で残らず掬ひとつてしまふことが出来たくらゐなんでな。それだから、祖父に出あふと誰彼の別なく慇懃に挨拶をしたのも至極尤もな話ぢやて。