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TORENDIA

短歌の口語的発想

本文約2,800字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

短歌へ口語を取り入れる問題について、歴史的変遷を踏まえつつ、その困難と可能性を論じる。古典から現代に至るまでの詠み手による試行錯誤を検証し、散文的にならず歌全体に有機的な律動を生むための条件として、厳密な観照や文語への安易な直訳の回避など、六つの指針を提示する。形式のみの改革や単なる材料の提供に留まらず、言葉の内部から実感を表現するための具体的な発想法の確立を強く求める。

折口信夫

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🎧 短歌の口語的発想 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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短歌に口語をとり入れることは、随分久しい問題である。さうして今に、何の解決もつかずに、残されてゐる。

一体どの時代でも、歌が型に這入つて来ると、大抵は珍しい語に逃げ道を求めた。形式の刺戟によつて、一時を糊塗しようとするのである。若しわれ/\が、文献に現れた死語・古語の中から、当時に於ける口語・文語が択り分けられるとしたならば、必、多くの口語的発想を見出すことが出来ようと思ふが、今日では容易な仕事ではなくなつてゐる。散木弃歌集あたりには、それでも多くの口語を見ることが出来る。実は、この話の最初に歴史的に見た、口語と文語との限界に就いて、予め述べておかねばならない筈なのであつた。何時の時代にも、文語と口語との区別は、大凡立つてゐた事なので、たゞそれが、今日ほど甚しくはなくて、幾分互ひに譲歩しあふ事があつたといふばかりで、今の人の考へるやうに、口語その儘を筆録したのが、直に文語とならない事は、今日の口語文を見ても知れるであらう。二葉亭や美妙斎の大胆な試みに過ぎなかつた時代から見れば、今日の口語文は、確に一種の形式を備へたものになつて来てゐる。多くの人は、です、だを会話語として、文章語としてはであるを使うてゐる。よく/\、修辞上の必要のある場合の外は、のつけにとは言はないで、最初にといふ。かうして現代語の中にも、幾分、硬化しかけてゐる正確な語を、文章語にむけてゐるのである。

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