女の話・花の話
本文約2,600字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
明治十二、三年頃の女風俗を描く制作過程と思いを綴り、京の俗世を離れた花の寺における幽静な花見の情景を回想する。作者は自ら見聞した明治の髪形や衣装の記憶を絵画に留める意義を説き、さらに西行法師ゆかりの地として謡にも登場する古雅な寺で、静寂の中で心ゆくまで花を愛でた体験を記す。伝統的な美意識と古き良きものを守り継ぐことへの深い愛着が、自身の創作と生活の姿勢を通して静かに語られる随筆である。
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責任のある画債を少しずつ果していっておりますが、なかなか埓があきません。それに五月一日からの京都市主催の綜合展の出品画――長いこと帝展をやすんでおりますから、その埋め合せと申すのでもありませんが、今度は何か描いてみようと思い立ちまして、二尺八寸幅の横物に、明治十二、三年から四、五年どこの、女風俗を画いております。
あの頃のことは、私も幼な心に薄々と覚えておりまして、思い出してみても物なつかしいような気がいたします。
図は、二十七、八から三十くらいの中嫁御が――眉を剃ったあとの、薄青い、ほん色白の京の嫁御の半身像でして、日傘をもった一人立ちのものです。
私の母は、よく髪を結いに出かけたり、また女髪結がうちにまいったり致しました。私は幼い頃から髪を結うことがほんに好きなものでしたから、よく傍にちんと坐って髪結う手元に見入っていたものでした。あの頃は今時と違いまして、女の髪形もいろいろとありましたし、またその身分とか年頃とかで、さまざまの髪形がありました。娘、内儀、花嫁、中嫁御、女中、おんば、みなそれぞれの髪があったものでした。中嫁御が眉を剃って、そのあとの青岱が、うっすら青く見えて、ぬけるように色が白いなど、とても魅力があったように思います。
女中の髪でも、その丈長の工合など、ゆかしいものでした。この丈長でも、京と大阪では少し違っておりましたし、帯だって形が違っておったようです。京の女中のは、黒繻子の帯をキチンと斜かいに立てに結んだものが、大阪は両端を少しだらりと下げておったように覚えております。
手がらなどでも、若い人だけがかけたものではなくて、年とった人でもかけておりました。鼠色の手がらなどあって、そういうものがいろいろとありました。私の記憶にあるものでも、様々変った女風俗があります。
帝展に限らず展覧会の女風俗画は、ほとんど今風のものが多かったのですから、私の描くようなものは流行不流行は別として、また幾分か物なつかしさがあるだろうと思いまして、思いついて青岱の嫁御寮をかいてみたわけでした。
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