盲目
本文約28,700字 ・ 読了時間 約58分
あらすじ(AIが作成しました)
視力を失い独房に収監された古賀は、音や触覚を頼りに過酷な日々を送る。かつての弁護士が自分と同じ境遇に置かれた事実を知り絶望に苛まれるが、弁護士の訪問を機に自身の運命と向き合い始める。失意と虚脱を繰り返しながらも、歴史の歯車の一部としての己の姿を客観的に見つめる術を学び、死の一歩手前でなお生きる希望を失わず、来る控訴公判に向けて静かに精神の均衡を保とうとする姿を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
その日の午後も古賀はきちんと膝を重ねたまゝそこの壁を脊にして坐つてゐた。本をよむことができなくなつてからといふもの、古賀には一日ぢゆうなにもすることがないのだ。終日ぽつねんとして暗やみのなかにすわつてゐるばかりである。時々彼は立上つて房のなかを行つたり來たりする。わづか三歩半で向ふの壁につきあたるやうな房のなかなのだ。一分間に十往復とすると、一時間には六百囘、距離にすると、一里ちかくになる、などと考へながら古賀はあるく。しかしぢきに頭のなかがぐるぐるとまはつてくる。そこで彼はまたすわり、こんどは塵紙を引きさいて紙縒をよりにかゝる。途中で切らないやうにこの粗惡なぼろぼろな紙で完全な紙縒をよるといふことが、しばらくのあひだ彼をよろこばせるのだ。指先がひりひりするやうになつてからはじめて彼は手を休め、いろんなもの思ひにふける。頭が疲れてくると、また立上り、手さぐりで掃除をしたり、狹い房の四方の壁に氣づかひながら體操をしたりする。――朝のうち、古賀はいくどかそんなことをくりかへし時間を相手に必死の組打ちをするのであつた。しかし――あらゆるたゝかひののちに、結局はやはり壁に脊をもたせ、茫然としてすわるよりほかにはないのである。