東旭川村にて
本文約5,500字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
旭川を訪れた筆者が、友人である東大出身の農村活動家と共に東旭川村へ向かう。村では父を亡くしたばかりの農村青年との対話を通じて、農業機械の利用実態や農家の窮状、役人の行政に対する農民の不信感など、北海道の農業が抱える現実を描き出す。厳しい環境下で懸命に働きながらも、未来に対して堅実かつ冷静な眼差しを持つ農村の人々の姿と、当時の農村が置かれた複雑な社会状況を詳らかにする。
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私は旭川へ來て友人のMに逢ひ、彼の案内で東旭川村を訪ねた。九月も十日すぎのある日だつた。
Mはほとんど十五年來の友人である。彼とは今度は三年ぶりで逢つた。何年に一度か、どつちかが思ひがけない、といふ逢ひ方で逢ふ。しかし話し出すと昨日まで毎日顏を合してゐたとでもいふ風で、水のやうな淡さである。それだけ深く心に通じてゐるものがあり、愛情も泌みるおもひだ。旅の行く先々にこのやうな友人を今も持つてゐる私は倖せである。私が別に云ひ出さぬうちに、彼は、「村へ行つて見ようか」と立ち上り、「降らねばいいが」と云つて窓から空を仰いだ。
村行きの電車内に私と向ひ合つて坐つたMを見て、東大出の法學士だなどと思ふものは恐らく一人だつてないだらう。以前から生れながらの百姓の友のやうな男だつたが、今度逢つて見ると愈々さうなつてゐる。
ゴルフパンツをはいた紳士、村の商人らしい男、百姓などが彼に挨拶する。彼等と言葉を交してゐるMは私などを惚れ惚れさせる。Mがこの地方に住みついてからもう十三年になる。大學を出たその年からだ。此頃は市内に住んでゐるが、長く村に住み慣れてゐた。その後暑さ寒さの何年かを冬は流氷の流れ寄る網走に送つた。再び上川に歸つて來てからは、劍淵村の市街地に住んで自分で鍬を取り、冷害による凶作の慘をつぶさになめもした。彼とこの平野の人々との間のつながりはさうして深く緊密なものになつて行つた。彼は自分につぐなはねばならぬものがあるとすれば、それは口舌にはよらず行動によつてでなければならぬことをひしとばかり感じたのであつたらう。國と人民とを愛する心がどんなにか深くなければ彼の今日のやうな貧窮に人は長く堪へて行くことは出來ぬ。よし堪へ得てもそのただ中にゐて、信ずる所あるものの莞爾たる笑ひを彼のやうには笑ふことは出來ぬ。
農民運動やそれに從つてゐる人々の姿をジヤーナルを通してなど知らうとしても一向に知り得なくなつてからもうよほどになる。一般世人はそんなものはもう影を消したのだと思つてゐる。