本文へ移動
TORENDIA

黎明

本文約29,700字 ・ 読了時間 約60分

あらすじ(AIが作成しました)

地区委員会の書記として農村へ派遣された太田健造は、小作農たちの生活と労働組合の活動に奔走する。折しも雨に恵まれた植え付けの時期、村々から集まった農民たちは、迫る選挙と地主からの圧力に揺れ動く状況を語り合う。ある日、法廷に立った農民の熊吉は、重い年貢の負担や生活の困窮、そしてやり場のない怒りを裁判長に向けて切実に訴える。本作は、農村の過酷な現実と無産階級運動の理想の狭間で苦悩する若き活動家と農民たちの姿を描く。

島木健作

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 36

若い地區委員會の書記の太田健造は、脚の折れ曲つたテーブルの上に心持ち前かゞみになり、速力をもつて書類に何か書き込んでゐた。――街道筋の家並みがとだえがちになり、ひろびろとした田圃の眺めがちやうどそこから展けようとするあたりにその家は建つてゐた。暮れかけて間もない街道をまつすぐに走つて來た自轉車の何臺かがその家の前まで來てとまつた。暗い土間に自轉車をおしこむと、人々は腰の手拭ひを取つてパツパツと裾をはたきながら、ゆがんだ階段をぎしぎしときしませてのぼつて行く。屋根裏の一室のやうにおそろしく天井の低い部屋だつた。筵を敷き、その上にまたうすべりをのべた殺風景なこしらへではあつたが、十疊はたつぷり敷けるとおもはれる廣さだつた。明けはなした小さな窓からはすぐ向ひの丘の上まで重々しく垂れさがつてゐる梅雨期の雨雲がのぞかれ、いくどにも吹きこんでくる風は霧のやうなしめりを含むでゐた。車座になつてゐる十五六人が野良からそのまゝ持つて來た新鮮な土と汗の植物のにほひが、ゆれうごく部屋の空氣についてながれた。

(これは大した成績だぞ――)

N町の縣本部の辯護士におくる訴訟の一件書類をやうやくまとめ終り、このT地區の責任者になつてから三度目の報告をO市の總本部にあてて書きながら、太田の神經は八方にはたらき、階段をのぼつて來る人々の足音だけで何村の何某とすぐにもさとり、これは豫期した以上の好成績と、ついさきほどまでの懸念も今は晴れておもはず彼はほくそ笑むのであつた。米田と植田と川上と川下と平沼と――すでに十ヶ村もの重も立ち者があつまつてゐる。あと三四ヶ村だ。待ちかねてゐた雨が昨夜どつと來た、この一刻千金の植つけ時にこれほどの集まりを見ようとはおもはなんだ――

「やれやれこれで助かつたわ!」

額の汗をぬぐひながら座につくや否やさういつたのは植田支部長の平賀甚兵だつた。

「降りさうで降りやがらんけになんぼやきもきしたこつたか! 今日は猫の手まで驅り出してやつつけたぞ。源治がとこは?」

島木健作の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本