絵画について
本文約5,600字 ・ 読了時間 約12分
あらすじ(AIが作成しました)
三好十郎は自身の絵画体験を回想し、伝統や先人の蓄積を軽視する現代の風潮に警鐘を鳴らす。著者は、自身の感性に訴えかける写実の価値を強調し、新奇さを競う前衛絵画や美術批評の姿勢を批判する。また、ピカソの作品についても、天才的な業績ではなく単なるショーマンシップの産物であると断じ、自身の生理的な好悪に基づいた美術批評を展開して、芸術表現における真摯さの欠如について論じる。
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マチェールへの愛
(一)
以前は私などの所へも時々若い人で戯曲やラジオドラマを勉強したいから指導してくれとか作品を書いたから読んでみてくれとか言って来る人があった。ひどい時には一月に四五人くらいそういう人がいたものである。ところが三四年前からパッタリそういうことがなくなった。初めは近年私が作品をあまり発表しないから私の名前を知っている人が少くなったせいだと思っていた。以前ひんぴんとそういう人が来た頃からそういうことをうるさがるたちなので来ないにこしたことはないのでそれ自体としてはありがたいわけだ。ところでこういう現象は私一人のことではないらしいことに最近気がついた。一般に若い人たちが先輩作家をたよって指導してもらうということは非常に少くなったらしい。そしてこの現象の中に現代というものの著しい性質が現れていると思う。つまり今の時代はもしかすると非常な急角度で新しいエポックの中に突入しつつある時代ではないかという気がする。しかも残念ながらそれは歓迎することのできない新しさである。
これは諸芸能やいろいろの手仕事でも同様の由、文楽、能楽、歌舞伎などはもちろんのこと、大工その他の手元の芸など。たとえば家を建てる大工職など小僧の時代から七八年修業しなければ一人前の大工になれないのが普通だが、そういう人が最近ほとんどいなくなったそうだ。もちろん若い世代の人々がその必要を感じなくなったせいであろう。つまり内の娘が日本着物を一枚も持たないし裁縫もできないのと同じことで、結局はその必要を感じないからである。
小説や戯曲の世界では志賀直哉などの作品とは殆ど縁のない、新人作家が続々と発生して来たり、真山青果の名も知らない劇作家や俳優が大勢できて来ている。