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TORENDIA

あとがき

本文約830字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

「出離」という東洋独自の概念を解明しようとする試みを綴る。敗戦後の夜の甲州街道を歩く人間の視点を通じ、自身の生活から湧き上がる無意識的な活動を創作の源泉とする。演劇の枠組みを問い直しつつ、現実の街路を舞台に見立てるような新たな上演の可能性や、現在の演劇が生命を取り戻すための視点を提示する。

三好十郎

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「出離」という事は多分西洋にはないことである。晩年のストリンドベルヒの物やヘルマン・ヘッセの作品などに、ややそれに似たものが提出されているが、いずれも少し違うようである。「出離」というものは東洋獨特のもので、ヨーロッパ的なメトーデのどんなものを持つて來ても解明できないもののようである。それを書きたかつた。

書きたいといつても、例の通りに私の場合には、自分の實生活から切り離された觀念的追求だとか作家的意欲だけから來た慾望ではなく、もつとジカな自身の内外のゴミやアクタなどが溜りに溜つて發酵しはじめた所から發して來る慾望であるため、發想の動機も作品自體も、半ば以上は一種の無意識活動のような所がある。そういう要素の、これは特に強い作品である。こんな創作方法自身が既に西洋的メトーデの中にはあまりないものかも知れない。

自分の作品にいちいちモデルが有るなどという事は作家の自慢になる事ではない。特にこの作品などの場合は、モデルなどというよりも、敗戰後の夜ふけの郊外の、甲州術道をトボトボと歩いて行く人間の眼に見、耳に聞くものを、ありのままに取り上げようとした――いわばドキュメンタリイを志したものである。このような行き方が正確な意味で戲曲といえるかどうかを知らぬ。戲曲でないといわれても私は一向に困らない。戲曲は先ず演劇のために在るのではなく、戲曲自身のために在るものだからだ。だからこの作品もやつぱりこれで戲曲なのだ。

この作品を讀んでくれた或る人が「これを現實の夜ふけの甲州街道の街路を舞臺に、觀客全部をトラックの上に乘せて、西に向つて走らせながら、上演してみたらおもしろいだろう」といつてくれたが、私はそれを聞いて實にうれしく、そして、そういう事も不可能ではないだろうと思い、そういう事が全部的には實現できないとしても、そのような考え方やセンスが現在の演劇に多少ずつでも生かされて行けば、演劇も生々とした生命を取り戻し得るかもしれないと思つた。

一九五二年十一月 三好十郎

完

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