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TORENDIA

三十年前の島田沼南

本文約12,900字 ・ 読了時間 約26分

あらすじ(AIが作成しました)

島田沼南は、清廉潔白な君子として葬られた大政治家である。本書は、著者と数少ない面識しかなかった沼南の人物像や、その政治的功績、生活のあり方、私生活における度量の深さを回想する。周囲を幻滅させる特有の清貧の演出や、編輯方針の不安定さに苦しんだ部下たちの不満、さらには家庭の破綻という騒動を乗り越えた際に垣間見せた寛大な美徳について、著者が直接見聞きした経験を交えて綴る。評価の分かれる多面的な実像を検証し、その生涯を多角的に論じる。

内田魯庵

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一

島田沼南は大政治家として葬られた。清廉潔白百年稀に見る君子人として世を挙げて哀悼された。棺を蓋うて定まる批評は燦爛たる勲章よりもヨリ以上に沼南の一生の政治的功績を顕揚するに足るものがあった。

沼南には最近十四、五年間会った事がない。それ以前とて会えば寒暄を叙する位の面識で、私邸を訪問したのも二、三度しかなかった。シカモその二、三度も、待たされるのがイツモ三十分以上で、漸く対座して十分かソコラで用談を済ますと直ぐ定って、「ドウゾ復たお閑の時御ユックリとお遊びにいらしって下さい」と後日の再訪を求めて打切られるから、勢い即時に暇乞いせざるを得なくなった。随って会えば万更路人のように扱われもしなかったが、親しく口を利いた正味の時間は前後合して二、三十分ぐらいなもんだったろう。

が、沼南の「復たドウゾ御ユックリ」で巧みに撃退されたのは我々通り一遍の面識者ばかりじゃなかった。沼南と仕事を侶にした提携者や門下生的関係ある昵近者さえが「復たユックリ来給え」で碌々用談も済まない中に撃退されてブツクサいうのは珍らしくなかった。

尤も沼南は極めて多忙で、地方の有志者などが頻繁に出入していたから、我々閑人にユックリ坐り込まれるのは迷惑だったに違いない。かつ天下国家の大問題で充満する頭の中には我々閑人のノンキな空談を容れる余地はなかったろうが、応酬に巧みな政客の常で誰にでも共鳴するかのように調子を合わせるから、イイ気になって知己を得たツモリで愚談を聴いてもらおうとすると、忽ち巧みに受流されて「復たおヒマの時に御ユックリ」で撃退されてしまう。

由来我々筆舌の徒ほど始末の悪いものはない。談ずる処は多くは実務に縁の遠い無用の空想であって、シカモ発言したら々として尽きないから対手になっていたら際限がない。沼南のような多忙な政治家が日に接踵する地方の有志家を撃退すると同じコツで我々閑人を遇するは決して無理はない。ブツクサいうものが誤っておる。

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