山道
本文約7,300字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
五月の塩山から大菩薩峠を目指す旅人と、道中で出会った学生や紳士らの一行が、自然の風景や著者の作風、そして科学と迷信の是非をめぐり熱心に議論を交わしながら峠を越える様子を描く。登頂後、一行は案内役の青年の話に耳を傾け、南アルプスを望む大パノラマを堪能する。本書は、農を本業とする著者が小説の寄稿依頼を受け、その代わりとして執筆した随筆を収める。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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大正十何年の五月、甲斐の国の塩山の駅から大菩薩峠に向って馬を進めて行く一人の旅人がありました。
中折の帽子をかぶって、脊広の洋服に糸楯、草鞋脚半といういでたちで頬かむりした馬子に馬の口を取らせて、塩山からほぼ、三里の大菩薩峠を目ざして行く時は前にいった通り陽春の五月、日はまさしく端午の当日であります。沿道の谷々には桃李が笑っている、村々には鯉幟がなびいている。霞が村も山も谷も一たいに立てこめている。
行手にふさがる七千尺の大菩薩嶺そのものも春に目ざめて笑っている。
大菩薩の山は温かい山でありました。
裂石の雲峰寺の石段の前に通りかかった時分、紳士もあれば商人も、学生もある一行が現われて、いつか、その旅人の馬をからんで峠路を登りながら話なじみになる。
「あの中に、清澄の茂太郎というのがいるのを御存知ですか……般若の面をかかえて絶えず出鱈目の歌をうたっている子供」
「そうそうそんなのがありましたね」
「あなたは、あの茂太郎の歌を面白いとお思いになりませんか」
「そうですね、読んだ時は変った歌だと思いましたが、よく覚えてはいません」
「あの歌があれが大変なものですよ」
学生のうちの一人、特に思入れがあって七分の感歎に三分の余情を加える。
「大変とは、どういう意味に……」
とBなる青年が振り返る。
「いけない、もう一度、君はあの歌を読み返して見なくちゃ――とにかく、あの歌が大変なものだということだけを頭に置いて、もう一ぺん読み返して見給え」
路は小流をいくつも越えて雑木林に入る。
「あの小説の著者は、あれで多少は科学の何者、芸術の何者であるかを知っているでしょうか」
「戯作、つまり昔の草双紙――草双紙に何があるものですか、ただその時、その時を面白がらせて、つないで行けばいいだけの代物です、その技術に於てはあの著者も多少の手腕を持っているようですが、その他の事は問題になりませんよ」
「いや、それは酷だ、君はまだあの作物を通読していないか、そうでなければ読んでいながら理解するだけの頭がないのか、そうでなければ相当にわかっていながらわざと誣うるものだ」
ここで一行が意外にも、かりそめの論評の火花を散らす。