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TORENDIA

放水路

本文約5,500字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

隅田川周辺の散策が困難になった永井荷風は、荒川放水路の堤を歩き始める。かつての六阿弥陀詣の旧道が改修され、人跡絶えた荒涼とした風景が広がる中、著者は川沿いの散策を通じて移りゆく景色と自身の内面を対比させる。工場地帯の傍らに残り続ける枯蘆や寂しい水門、各地に架かる橋などを巡りながら、かつての記憶と現在の風景が交錯する中での孤独な歩みを綴る。

永井荷風

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🎧 放水路 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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隅田川の両岸は、千住から永代の橋畔に至るまで、今はいずこも散策の興を催すには適しなくなった。やむことをえず、わたくしはこれに代るところを荒川放水路の堤に求めて、折々杖を曳くのである。

荒川放水路は明治四十三年の八月、都下に未曾有の水害があったため、初めて計画せられたものであろう。しかしその工事がいつ頃起され、またいつ頃終ったか、わたくしはこれを詳にしない。

大正三年秋の彼岸に、わたくしは久しく廃していた六阿弥陀詣を試みたことがあった。わたくしは千住の大橋をわたり、西北に連る長堤を行くこと二里あまり、南足立郡沼田村にある六阿弥陀第二番の恵明寺に至ろうとする途中、休茶屋の老婆が来年は春になっても荒川の桜はもう見られませんよと言って、悵然として人に語っているのを聞いた。

わたくしはこれに因って、初めて放水路開鑿の大工事が、既に荒川の上流において着手せられていることを知ったのである。そしてその年を最後にして、再び彼岸になっても六阿弥陀に詣でることを止めた。わたくしは江戸時代から幾年となく、多くの人々の歩み馴れた田舎道の新しく改修せられる有様を見たくなかったのみならず、古い寺までが、事によると他処に移されはしまいかと思ったからである。それに加えて、わたくしは俄に腸を病み、疇昔のごとく散行の興を恣にすることのできない身となった。またかつて吟行の伴侶であった親友某君が突然病んで死んだ。それらのために、わたくしは今年昭和十一年の春、たまたま放水路に架せられた江北橋を渡るその日まで、指を屈すると実に二十有二年、一たびも曾遊の地を訪う機会がなかった。

*

大正九年の秋であった。一日深川の高橋から行徳へ通う小さな汚い乗合のモーター船に乗って、浦安の海村に遊んだことがある。小舷を打つ水の音が俄に耳立ち、船もまた動揺し出したので、船窓から外を見たが、窓際の席には人がいるのみならず、その硝子板は汚れきって磨硝子のように曇っている。わたくしは立って出入の戸口へ顔を出した。

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