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TORENDIA

正宗谷崎両氏の批評に答う

本文約5,900字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

谷崎潤一郎と正宗白鳥による自身の文学への批評を受け、感謝の意を綴る。過去の作品の執筆経緯や、江戸趣味をめぐる周囲の評価、当時の文学界の状況を振り返りながら、自身の作家としての歩みを検証する。また、近松門左衛門と井原西鶴の比較や、自身の創作の背景にある江戸情緒や西洋文化への関心について述べる。老いと病、そして時代変遷の中で、執筆活動を続けてきた自らの作家人生を回顧する論考である。

永井荷風

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🎧 正宗谷崎両氏の批評に答う / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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去年の秋、谷崎君がわたくしの小説について長文の批評を雑誌『改造』に載せられた時、わたくしはこれに答える文をかきかけたのであるが、勢自作の苦心談をれいれいしく書立てるようになるので、何となく気恥かしい心持がして止してしまった。然るにこの度は正宗君が『中央公論』四月号に『永井荷風論』と題する長文を掲載せられた。

わたくしは二家の批評を読んで何事よりもまず感謝の情を禁じ得なかった。これは虚礼の辞ではない。十年前であったなら、さほどまでにうれしいとは思わなかったかも知れない。しかし今は時勢に鑑みまた自分の衰老を省みて、今なおわたくしの旧著を精読して批判の労を厭わない人があるかと思えば満腔唯感謝の情を覚ゆるばかりである。知らぬ他国で偶然同郷の人に邂逅したような心持がしたのである。

かつて大正十五年の春にも正宗君はわたくしの小説及雑著について批評せられたことがあった。その時わたくしは弁駁の辞をつくったが、それは江戸文学に関して少しく見解を異にしているように思ったからで、わたくしは自作の小説については全く言う事を避けた。自作について云々するのはどうも自家弁護の辞を弄するような気がして書きにくかった故である。わたくしが個人雑誌『花月』の誌上に、『かかでもの記』を掲げて文壇の経歴を述べたのは今より十五、六年以前であるが、初は『自作自評』と題して旧作の一篇ごとに執筆の来由を陳べ、これによって半面はおのずから自叙伝ともなるようにしたいと考えた。しかしそれもあまり自家吹聴に過るような気がして僅に『かかでもの記』三、四回を草して筆を擱いた。

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