ある眼
本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
画家のAのもとへ通うモデルのお光は、特長のない娘であったが、問いかけられると「まあ」と言って笑いかける癖があった。ある日、Aは窓の外から、自らの前髪を鼻先に寄せて眺めるお光の奇妙な姿を覗き見る。その滑稽な様子に目を奪われたAは、不意にお光を呼びかける。振り返った彼女が見せた、親愛の情を湛えた一瞬の美しさを捉えようと、画家が自らの製作体験を通してモデルの本質や眼差しの魅力を綴る。
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「あんな娘をどこが好いんだ、と訊かれると、さあ、ちよつと一口に言へないが」さう云つて、画家のAは話し出した。
彼女はただ普通のモデル娘として、私の画室に通つてきてゐたのです。私も特別、彼女に注意を払つてもゐませんでした。それほど、彼女は、ただの娘でした。年は十七八だつたでせうか、身体が大きいからと言つて、そのころ肩揚をおろしてゐました。
彼女は、見たところそんな風で、人物にも性情にも特長のない娘でしたが、人から何か話しかけられたり、訊かれると返事のかはりに「まあ」と言つて、少し笑つた眼で相手を見返す癖がありました。
その眼は、たいしてコケテイツシユなものではなかつたが、やはり年頃の娘ですから、黒く濡れてゐて、その眼が一種間のぬけた好もしい感じを与へました。
そしてこの「まあ」といふ返事が、イエスでもノーでもないやうな、それでゐて、相手の言ふことをすつかり呑込んで、上手に受流したやうにも見えるのでした。だからある時などは、とても聡明な才女にさへ見えるのでした。さうかと思ふと、とてもとんちんかんな「まあ」であることもありました。
私の製作は二週間の予定でした。なんでも最初の一週間が過ぎた日曜だつたと思ひます。私は、絵の具の買ひ足しにいつて、外から帰つてくると、そのモデルはこちらへ横顔を見せて、出窓のところへぢつと坐つてゐるんです。
よく電車の中などで、人に見られてゐることを少しも意識してゐないやうに見える女性の、自由な開放せられた美しさや、また反対に、女性が持つてゐる肉体的な無意識の嫌悪や謙譲や羞恥が反つて、肉感的な吸引力になつてゐることを、屡々見かけます。
また人が誰にも見られないで、たつた一人で何かしてゐるのを覗き見ることに悪魔的な喜びを感じることがあります。ことにそれが女性である場合、眠つてゐない限り、何等かの不思議な美しさを見せてくれるものです。丁度そんな機会だつたのです。