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TORENDIA

雪の日

本文約5,900字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

雪が降り始めると、明治時代の東京を想起する著者は、往時の町が醸し出していた哀愁や、自身が経験した雪の日の情景を回想する。深川の寄席に通っていた青年時代、大雪の夜に下座の娘と相合傘で歩いた思い出や、母と過ごした実家での山鳩にまつわる記憶を辿る。時は流れ、親しい人々は去り、世俗は変貌したが、冬が来るたび心に雪が降り積もり、消えていく追憶と孤独の情緒を綴る。

永井荷風

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🎧 雪の日 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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曇って風もないのに、寒さは富士おろしの烈しく吹きあれる日よりもなお更身にしみ、火燵にあたっていながらも、下腹がしくしく痛むというような日が、一日も二日もつづくと、きまってその日の夕方近くから、待設けていた小雪が、目にもつかず音もせずに降ってくる。すると路地のどぶ板を踏む下駄の音が小走りになって、ふって来たよと叫ぶ女の声が聞え、表通を呼びあるく豆腐屋の太い声が気のせいか俄に遠くかすかになる……。

わたくしは雪が降り初めると、今だに明治時代、電車も自動車もなかった頃の東京の町を思起すのである。東京の町に降る雪には、日本の中でも他処に見られぬ固有のものがあった。されば言うまでもなく、巴里や倫敦の町に降る雪とは全くちがった趣があった。巴里の町にふる雪はプッチニイが『ボエーム』の曲を思出させる。哥沢節に誰もが知っている『羽織かくして』という曲がある。

羽織かくして、  袖ひきとめて、  どうでもけふは行かんすかと、

言ひつつ立つて櫺子窓、  障子ほそめに引きあけて、

あれ見やしやんせ、  この雪に。

わたくしはこの忘れられた前の世の小唄を、雪のふる日には、必ず思出して低唱したいような心持になるのである。この歌詞には一語の無駄もない。その場の切迫した光景と、その時の綿々とした情緒とが、洗練された言語の巧妙なる用法によって、画よりも鮮明に活写されている。どうでも今日は行かんすかの一句と、歌麿が『青楼年中行事』の一画面とを対照するものは、容易にわたくしの解説に左袒するであろう。

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