TRENDIA CLASSIC

灰色の眼の女

神西清

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埴生十吉が北海道の勤め口を一年たらずでやめて、ふたたび東京へ舞戻つてきたのは、192*と永いあひだ見馴れもし使ひなれもした字ならびが変つて、計算器の帯が二本いちどきに回転するときのやうに、下から二た桁目に新たな3の字がかちりと納つた年の、初夏のことであつた。遊んで暮してゆける身分でもないので、ロシヤ語を少々かじつてゐたのをたよりに、小石川にある或る東洋学関係の図書館に、なかば自宅勤務の形でつとめることになつた。蒙古の民俗を扱つたロシヤ語の文献の日録を、整理したり翻訳したりする役目である。

この仕事を、大して興味をもつでもなしにぼつぼつやつてゐるうち、その夏も峠をこした或る日のこと、学校の先輩でもあり、一部は恩師でもある小幡氏から、至急に会ひたいと電話の呼出しがかかつた。指定された丸の内の何とかいふ倶楽部の一室で待つてゐると、廊下の方で、二三人の連れ――その中にはどうやら外国人もまじつてゐるらしい――と別れの言葉をかはしてゐる聞き覚えのあるきびきびした声がきこえて、やがて白い麻服姿の小幡氏が、相変らずの颯爽たる足どりではいつて来た。

一口にいへば小幡氏は、日本人にはちよつと珍しいきちりとした紳士である。それもイギリス型の紳士といふと、長身瀟洒のうちにもどことなく燻しのかかつた、悪くいへば些か爺むさい、良くいへば鷹揚な――さうしたところのあるのが定石らしいが、小幡氏のはそれとは裏はらに、小型でぴりりとした生地に、一種のスノビスムの加はつた別様の紳士ぶりである。この種の伊達は、どうしても一味南欧的な頽廃と相通ずる気味のあるのを免れない。小幡氏にもそれはあるが、持ち前の短気と負けじ魂とで、あやふい一線に手綱をひきしめてゐる。

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