埋もれた日本
本文約21,300字 ・ 読了時間 約43分
あらすじ(AIが作成しました)
応仁の乱前後の室町文化を日本のルネッサンスと捉え、世阿弥の能楽や周文の墨絵、一条兼良の総合的な思想などを通じてその独創性と豊かさを検証する。また、武家社会における朝倉敏景や多胡辰敬の家訓に見られる実力主義や合理的精神を分析し、一方で江戸初期に林羅山が台頭することで、朱子学的な保守思想が自由な思索の芽を摘み、鎖国と相まって日本の創造的活動を萎縮させた過程を論じる。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
この問題を考えるには、まず応仁の乱(一四六七―一四七七)あたりから始めるべきだと思うが、この乱の時のヨーロッパを考えると、レオナルド・ダ・ヴィンチは二十歳前後の青年であったし、エラスムス、マキアヴェリ、ミケランジェロなどはようやくこの乱の間に生まれたのであるし、ルターはまだ生まれていなかった。ポルトガルの航海者ヘンリーはすでに乱の始まる七年前に没していたが、しかしアフリカ回航はまだ発展していなかった。だからヨーロッパもまだそんなに先の方に進んで行っていたわけではない。むしろこれから後の一世紀の進歩が目ざましいのである。シャビエルが日本へ来たのも、乱後七、八十年であった。
応仁の乱以後日本では支配層の入れ替えが行なわれた。それに伴なう社会的変動が、思想の上にも大きく影響したはずである。しかしそういう変動を問題とするためには、その変動の前の室町時代の文化というものが、一体どういうものであったかを、はっきりと念頭に浮かべておかなくてはならぬ。
原勝郎氏はかつて室町時代は日本のルネッサンスの時代であると論じたことがある。日本の独自の文化であると考えられる平安朝の文化が、鎌倉時代の武家文化に覆われていた後に、ふたたびここで蘇生して来ているからである。この見方はなかなか当たっていると思われる。室町時代の文化を何となく貶しめるのは、江戸幕府の政策に起因した一種の偏見であって、公平な評価ではない。我々はよほどこの点を見なおさなくてはなるまいと思う。