生きること作ること
本文約8,100字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
自身の作品や生活における偽りや拙さを自覚し、苦悩する著者が、偉大な先人の著作と向き合いながら、より誠実な生き方と制作への道を模索する随筆。自己の才能への失望や内面の複雑な葛藤を抱えつつも、運命を愛し、自身の体験を深く見つめる努力こそが生を豊かにすると説く。また、誠実な制作態度がもたらす表現の充実を希求し、自己の内なる主我心と戦いながら、人間として真に生きるための道を、自らの人生における制作という観点から論じる。
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一
私は近ごろ、「やっとわかった」という心持ちにしばしば襲われる。対象はたいていこれまで知り抜いたつもりでいた古なじみのことに過ぎない。しかしそれが突然新しい姿になって、活き活きと私に迫って来る。私は時にいくらかの誇張をもって、絶望的な眼を過去に投げ、一体これまでに自分は何を知っていたのだとさえ思う。
たとえば私は affectation のいやなことを昔から感じている。その点では自他の作物に対してかなり神経質であった。特に自分の行為や感情についてはその警戒を怠らないつもりであった。しかるにある日突然私は眼が開いた気持ちになる。そして自分の人間と作物との内に多分の醜い affectation を認める。私はこれまで何ゆえにそれに気がつかなかったかを自分ながら不思議に、また腹立たしく思う。affectation が何であるか、それがどういう悪い根から生いでて来るか、それはまるきりわかっていなかったのである。何というばかだ、と私は思わないではいられない。
そういう時には自分の悪いことばかりが眼につく。自分の理解を疑う心が激しく沸き立つ。「人生を見る眼が鈍く浅い。安価な自覚でよい心持ちになっている。自分で自分を甘やかすのだ。」こう自分で自分を罵る。そして自分の人格の惨めさに息の詰まるような痛みを感ずる。
しかしやがて理解の一歩深くなった喜びが痛みのなかから生まれて来る。私は希望に充ちた心持ちで、人生の前に――特に偉人の内生の前に――もっともっと謙遜でなくてはならないと思う。そして底力のある勇気の徐々によみがえって来ることを意識する。
二
ただ「知る」だけでは何にもならない、真に知ることが、体得することが、重大なのだ。――これは古い言葉である。しかし私は時々今さららしくその心持ちを経験する。
――誰でも自分自身のことは最もよく知っている。そして最も知らないのはやはり自己である。「汝自身を知れ」という古い語も、私には依然として新しい刺激を絶たない。