わたくしは歌のことはよくわからず、広く読んでいるわけでもないが、岡麓先生のお作にはかねがね敬服している。誠に滋味の豊かな歌で、くり返して味わうほど味が出てくるように思う。中でも最も敬服する点は、先生が、目立って巧みな言い回しとか、人を驚かせるような奇抜な表現とか、刺激の強い言葉とかを、決して使われないことである。どんなに烈しい内容を取り扱われる場合でも、いかにも淡々として、透明な感じを与える。わたくしはこの透明さが表現の極致ではないかと考えている。ちょうど無色透明で歪みのない窓ガラスが外の景色を最も鮮やかに見せてくれるように、表現の透明さは作者の現わそうとするものを最も鮮明に見せてくれる。また透明であればあるほどそこにガラスのあることが気づかれないと同様に、透明な表現もその表現の苦心とか巧みさとかを意識させず、ただ端的に表現されたものに直面せしめる。それに反して警抜な表現とか巧みさを感じさせる言い回しとかは、ちょうど色のついたガラスのように、見えるものに色をつけてしまう。その色の好きな人は、あるいは好きな間は、その色が見えるというだけで喜びを感じるであろうが、その色のきらいな人、あるいは飽きてきた人は、その色がありのままの物の姿を見るのにひどく邪魔になることを痛感させられる。それを感じはじめると、どの色といわず、色のついていること自体がいやになってくる。そういう意味で、わたくしには、あの淡々とした透明な感じが実にありがたい。
しかしこれは先生の歌が無技巧だなどということではない。あれほど一字一句の使い方、置き方に気を配った歌、あれほど浮いたところのない、中味のびっしりとつまった歌、またあれほど濃かいニュアンスを出した歌が、技巧に熟達せずに作れるものではない。しかし先生の歌は、その巧みさを少しも感じさせないほど巧みな域に達していると思う。今度の歌集で先生は、
もののさびものの渋味はおのづからいたりつく時はじめて知らゆ