自分にとっては、強く内から湧いて来る自己否定の要求は、自己肯定の傾向が隈なく自分を支配していた後に現われて来た。そうしてそれは自分を自己肯定の本道に導いてくれそうに思われる。
自我の尊重、個人の解放、――これらの思想はただ思想として自分の内にはいって来たのではなかった。小供の時から自分の内に芽生えていた反抗の傾向――すべての権威に対する反抗の気風はこれらの思想によって強い支柱を得、その結果として自尊の本能が他の多くの本能を支配するようになった。外から与えられたように感ぜられる命令、――この事をしろとかあの事をしてはならぬとかいう命令はすべて力のないものに見え、ただ自分の意欲することのみが貴いと思った。自分の内から出てやる自己否定という如きものも、実は内に喰い入っている外来の権威への屈服であると思っていた。それとともに自分の傾向や自分と偉大なる者との間の距離などは全然見えなくなってしまった。自分にだってそれは出来る、ただそれを実現していないだけだ、――すべての事に対してそういう気持ちがあった。
無批評に自分の尊貴を許すということは、自分の内に蟠っている多くの性質の間の関係をことごとく変化せしめた。これまでは調和がとれていた故に現われなかった性質が調和の破れるとともに偏狭に現われて来た。自分の内には、自分の運命に対する強い信頼が小供の時から絶えず活らいていたけれども、またその側には常に自分の矮小と無力とを恥じる念があって、この両者の相交錯する脈搏の内にのみ自分の成長が行われていたのであるが、この時からその脈搏は止まってしまった。自己の価値はもはや問題にならなくて、どんなものでも、またどんなにそれが偏狭であっても、とにかく自己として現われてくる者は皆一様に絶対の価値を担っていると信じていた。