寺田さんに最後に逢った時
本文約1,300字 ・ 読了時間 約3分
あらすじ(AIが作成しました)
八月の末、雨の軽井沢で電車を待つ著者は、偶然乗り合わせた寺田寅彦との対話を通して、物理学者としての視点から自然を観察する彼の瑞々しい感性に触れる。植物図鑑を片手に、自然界の驚異と神秘を少年のような好奇心で語る寺田の姿は、周囲の山川草木を輝かせ、わびしい電車内を不思議に満ちた世界へと変貌させる。本書は、著者がこの日体験した寺田との心温まる交流と、彼が抱く自然への飽くなき探究心や生命の輝きを綴る回想録である。
💰 この本を応援する(投げ銭)
去年の八月の末、谷川君に引っ張り出されて北軽井沢を訪れた。ちょうどその日は雨になって、軽井沢駅に降りた時などは土砂降りであった。その中を電車の終点まで歩き、さらに玩具のように小さい電車の中で窓を閉め切って発車を待っていた時の気持ちは、はなはだわびしいものであった。少し癇癪が起きそうになるまで待たされたあとで、やっと動き出したかと思うと、やがてまたすぐに止まった。旧軽井沢であったらしい。ここでもなかなか発車しそうにない。うんざりしながら鄙びた小さな停車場をながめていると、突然陽気な人声が聞こえて四、五人の男女が電車へ飛び込んで来た。よほど馳けて来たらしく息を切らしている人もある。ふと見るとその一人が寺田先生であった。
自分にはこの時一種の驚きが感じられた。この雨の中のわびしい電車に乗るなどということは、よほど特殊な事情によるのである。自分は谷川君との約束を幾度か延ばし延ばししていた罰でこんな羽目になった。しかし軽井沢に避暑している人たちがまさかこんな日に出歩くとは思わなかった。まして寺田さんの一行が自分と同じく北軽井沢までも行かれるとは全然思いがけなかった。ところが聞いてみると寺田さんの方でも松根氏との約束を延ばし延ばししている内についこんな日に出掛けることになったのだそうである。しかもその朝東京から出掛けて来た自分たちと軽井沢に逗留していられる寺田さんたちとが、こうして同じ電車に落ち合ったのである。