霊的本能主義
本文約12,100字 ・ 読了時間 約25分
あらすじ(AIが作成しました)
物質への執着が蔓延する現代社会において、人間が精神的な自覚を持ち、肉体と霊魂の調和を目指すべきだと論じる。著者は、欲や利己心を超越し、内的生命を尊重する「霊的本能主義」を提唱する。カーライルの思想や武士道の精神を援用し、目の前の義務を果たすことで理想の境地に達し得ると説く。また、既存の道徳や学園の悪習を批判しつつ、愛に満ちた家庭や芸術を通じて、真の自己を確立し現実社会を歩むべきだと主張する。
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一
荒漠たる秋の野に立つ。星は月の御座を囲み月は清らかに地の花を輝らす。花は紅と咲き黄と匂い紫と輝いて秋の野を飾る。花の上月の下、潺湲の流れに和して秋の楽匠が技を尽くし巧みを極めたる神秘の声はひびく。遊子茫然としてこの境にたたずむ時胸には無量の悲哀がある。この堪え難き悲哀は何をか悲しみ何をか哀れむ。虫の音は、花の色は、すべての宇宙の美は、虚無でない、虚無でない「美」の底に悲哀が包まれたるは何の意味であるか。銀座の通りを行く。数十百の電車は石火の一刹那に駛せ違う。数百千の男女はエジプトの野を覆うという蝗の群れのように動いている。貴公は何ゆえに歩いてるかと問うと用事があるからだと言う、何ゆえに用事があるかと問うと、おれは商売をしている、遊んでるのじゃないと答える。商売は金のためで金は欲のためである。生きるだけで満足する者はない。すべての欲を充たさねばならぬ、欲は変現限りなし。限りなき本能の欲の前には限りある「人の命」は無益である。銀座の人は無益に歩いているのか。
人生は複雑である、むずかしい問題である。スフィンクスが眼をむいて出現して以来、人間が羽なき二足獣であって以来の問題である。高橋氏の「人生観」が人生を解き、黒岩氏の天人論が天と人との神秘を開いたる今日にも依然としてむずかしい。むずかしければこそ藤村君は巌頭に立ち、幾万の人は神経衰弱になる、新渡戸先生でさえ神経衰弱である、鮪のさし身に舌鼓を打ったところで解ける問題でない。魚河岸の兄いは向こう鉢巻をもって、勉強家は字書をもってこの問題を超越している。ある人は「粋」の小盾に隠れてこの悶を野暮と呼び、ある人は「理想」の塹壕に身を沈めてこの煩を病的と呼ぶ。