本文へ移動
TORENDIA

浮舟

本文約17,000字 ・ 読了時間 約35分

あらすじ(AIが作成しました)

真夏の二見ヶ浦で、放浪の六蔵は渚に繋がれた舟を見つけ、そこで怪しい人影と出会う。その夜、別荘の離座敷では三味線の音が響き、芸妓の宮歳が巽という男を呼び入れていた。宮歳は螢を追う姿を見せ、二人は妖しくも幻想的な時を過ごす。しかし、翌朝に宮歳の突然の死が判明し、昨夜の出来事が夢幻の如き幻影であったことが浮かび上がる。別荘の庭には折櫛が残され、かつての恋の面影が常夏の花と共に静かに今もなお漂い続けている。

泉鏡花

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 21

一

「浪花江の片葉の蘆の結ぼれかかり――よいやさ。」

と蹌踉として、

「これわいな。……いや、どっこいしょ。」

脱いで提げたる道中笠、一寸左手に持換えて、紺の風呂敷、桐油包、振分けの荷を両方、蝙蝠の憑物めかいて、振落しそうに掛けた肩を、自棄に前に突いて最一つ蹌踉ける。

「……解けてほぐれて逢う事もか。何を言やがる。……此方あ可い加減に溶けそうだ。……まつにかいあるヤンレ夏の雨、かい……とおいでなすったかい。」

さっと沈めた浪の音。磯馴松は一樹、一本、薄い枝に、濃い梢に、一ツずつ、翠、淡紅色、絵のような、旅館、別荘の窓灯を掛連ね、松露が恋に身を焦す、紅提灯ちらほらと、家と家との間を透く、白砂に影を落して、日暮の打水のまだ乾かぬ茶屋の葭簀も青薄、婦の姿もほのめいて、穂に出て招く風情あり。此処は二見の浦づたい。

真夏の夜の暗闇である。この四五日、引続く暑さと云うは、日中は硝子を焼くが如く、嚇と晴れて照着ける、が、夕凪とともに曇よりと、水も空も疲れたように、ぐったりと雲がだらけて、煤色の飴の如く粘々と掻曇って、日が暮れると墨を流し、海の波は漆を畝らす。これでいて今夜も降るまい。癖に成って、一雫の風を誘う潮の香もないのであった。

男は草鞋穿、脚絆の両脚、しゃんとして、恰も一本の杭の如く、松を仰いで、立停って、……眦を返して波を視た。

「ああ、唄じゃねえが、一雨欲しいぜ……」

俄然として額を叩いて、

「慌てまい。六ちゃん、いや、ちゃんと云う柄じゃねえ。六公、六でなし、六印、月六斎でいやあがら。はははは。」

肩を刻んで苦笑いして、またふらふらと砂を踏み、

「野宿に雨は禁物でえ。」

その時躓く。……

「これわいな! 慌てまいとはこの事だ。はあ、松の根ッ子か。この、何でもせい。」

岸辺の茶屋の、それならぬ、渚の松の舫船。――六蔵は投遣りに振った笠を手許に引いて、屈腰に前を透かすと、つい目の前に船首が見える。

船は、櫂もなく艪もなしに、浜松の幹に繋いで、一棟、三階立は淡路屋と云う宏壮な大旅館、一軒は当国松坂の富豪、池川の別荘、清洒なる二階造、二見の浦の海に面した裏木戸の両の間、表通りへ抜路の浜口に、波打際に引上げてあった。

泉鏡花の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本