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TORENDIA

帯広まで

本文約13,600字 ・ 読了時間 約28分

あらすじ(AIが作成しました)

映画館の楽士である九太と別れた伊代は、手切れ金の四十円を貯金し、生活の糧を求めて銀座でダンサーとして働き始める。ある日、九太が帯広出身の新しい妻と暮らす地を訪れた伊代は、雨の中、九太と再会する。かつての情愛は冷え切り、二人は互いに割り切れない関係を続ける。その後、伊代はマネキン仲間との旅行で訪れた地で九太の妻からの電話を受ける。九太の所在を知らぬまま、伊代は仲間と共に然別湖へのバスに乗り込み、九太との関係に終止符を打ったかのような心持ちで日常の風景を眺める。

林芙美子

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水気の多い南風が吹いていて、朝からごろごろ雷が鳴っていた。昼から雨になった。伊代は九太から手切れの金だと云って貰った四拾円の金を郵便局に貯金に行った。雨の中を傘もささずに歩きながら、伊代は足が地につかないような、ふわふわした気持ちであった。四枚の拾円札が貯金の通帳になってしまうと、手も足も風にぎとられて行ったような変な淋しさになった。心のうちには、夫婦ぐらしが終りになったら、こんな卒業証書を貰うものかと、伊代は歩いて帰りながら、そんな事を考えていた。市場の前を通ったが、九太と連れ添っていた時のような食慾はなかった。それでも伊代は眼をつむって通った。眼をつむりかけた時、八百屋の店先きには、熟した桃の並べてあるのが眼に写った。酢っぱい唾がごくんと咽喉を潤おした。伊代は桃を買って帰った。

夜になると、雷はいっそう非道くなった。伊代は早くから寝床を敷いて暗い部屋の中で小さくなっている。二三日前まで九太が同じ寝床にいたのだと思うと、伊代は暗い寝床で桃を噛りながらぽろぽろ泣いているのであった。四囲が湿っているので、伊代は苦しめられるような蒲団の匂いをかいだ。歪んだ雨戸の隙間から、時々雷光が射し込むと、軈て地の底を搖すぶるようにして雷鳴が走って行く。伊代は枕の下に貯金の通帳を挟んで、蒲団の中にもぐり込んだ。涙がぶつぶつ湧き出て両方の耳の穴へ溜って行った。四拾円くれると云った時、何故、別れるのは厭だと云わなかったのだろう。伊代は「別れても何ともないわよ」とせゝら笑っていた自分が口惜しくてならなかった。何時間かうとうとしたと思うと、枕元へ誰か「おい」と云って坐ったような気配がした。伊代は寝呆けた眼を暗がりに向けた。九太が枕元にしゃがんでいる。伊代は何か訳の判らないような叫び声をあげて起きあがると電気をつけた。

「遅いじゃないの?」

何時も口を突いて出る言葉であった。九太は三楽館と云う映画館の楽士であったので帰りは何時も遅いのであった。

「遅かないよ。まだ十一時だもんね」

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