TRENDIA CLASSIC

椎の若葉

葛西善藏

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六月半ば、梅雨晴れの午前の光りを浴びてゐる椎の若葉の趣を、ありがたくしみじみと眺めやつた。鎌倉行き、賣る、賣り物――三題話し見たやうなこの頃の生活ぶりの間に、ふと、下宿の二階の窓から、他家のお屋敷の庭の椎の木なんだが實に美しく生々した感じの、光りを求め、光りを浴び、光りに戯れてゐるやうな若葉のおもむきは、自分の身の、殊にこのごろの弱りかけ間違ひだらけの生き方と較べて何と云ふ相違だらう。人間といふものは、人間の生活といふものは、もつと美しくある道理なんだと自分は信じてゐるし、それには違ひないんだから、今更に、草木の美しさを羨むなんて、餘程自分の生活に、自分の心持ちに不自然な醜さがあるのだと、此の朝つく/″\と身に沁みて考へられた。

おせいの親父と義兄さんが見えて、おせいを引張つて歸つて行つたのは、たしか五月の三十日だと思ふ。その時も、大變なんでしたよ。僕にはもと/\掠奪の心はないんだ。人情としての不憫さはあるつもりなんだが、おせいを何うして見たところで僕の誇りとなる筈はない。それくらゐのことは、自分も最早四十近い年だ、いくらか世の中の鹽をなめて來てゐるつもりだから、それ程間違つた考へは持つてをらないつもりである。

本能といふものゝ前には、ひとたまりもないのだと云はれゝば、それまでのことなんだが、何うにかなりはしないものだらうか。本能が人間を間違はすものなら、また人間を救つてくれる筈だと思ふ。椎の若葉に光りあれ、我が心にも光りあらしめよ。

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