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TORENDIA

椎の若葉

本文約7,000字 ・ 読了時間 約15分

あらすじ(AIが作成しました)

六月、鎌倉の椎の若葉が光を浴びて輝く姿を眺めた作者は、自らの生活の醜さと照らし合わせ、その生命力に救いを求める。ある女性との関係や生活苦から、故郷の家族のもとへ帰るか思案する中、かつての鎌倉での騒動や新聞報道を振り返る。人間生活の矛盾や本能に振り回され、苦悩する己のあり方を内省しつつ、若葉の輝きに自己の再起を重ねるまでの心の葛藤を綴る。

葛西善藏

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🎧 椎の若葉 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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六月半ば、梅雨晴れの午前の光りを浴びてゐる椎の若葉の趣を、ありがたくしみ/″\と眺めやつた。鎌倉行き、売る、売り物――三題話し見たやうなこの頃の生活ぶりの間に、ふと、下宿の二階の窓から、他家のお屋敷の庭の椎の木なんだが実に美しく生々した感じの、光りを求め、光りを浴び、光りに戯れてゐるやうな若葉のおもむきは、自分の身の、殊にこのごろの弱りかけ間違ひだらけの生き方と較べて何と云ふ相違だらう。人間といふものは、人間生活といふものは、もつと美しくある道理なんだと自分は信じてゐるし、それには違ひないんだから、今更に、草木の美しさを羨むなんて、余程自分の生活に、自分の心持ちに不自然な醜さがあるのだと、此の朝つく/″\と身に沁みて考へられた。

おせいの親父と義兄さんが見えて、おせいを引張つて帰つて行つたのは、たしか五月の三十日だと思ふ。その時も、大変なんでしたよ。僕にはもと/\掠奪の心はないんだ。人情としての不憫さはあるつもりなんだが、おせいを何うして見たところで僕の誇りとなる筈はない。それくらゐのことは、自分も最早四十近い年だ、いくらか世の中の塩をなめて来てゐるつもりだから、それ程間違つた考へは持つてをらないつもりである。

本能といふものの前には、ひとたまりもないのだと云はれれば、それまでのことなんだが、何うにかなりはしないものだらうか。本能が人間を間違はすものなら、また人間を救つてくれる筈だと思ふ。椎の若葉に光りあれ、我が心にも光りあらしめよ。

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