夏と悲運
本文約690字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
小学校の唱歌教室で突然笑いが止まらなくなり廊下に立たされるという経験をした語り手が、大人になった現在も夏の暑い日に同様の衝動に見舞われる様を綴る。理由も分からず込み上げる笑いと、その結果として自身の身に降りかかる逃れられない悲運について、自然との遊離や人生の不条理と絡めながら内省的に描き出す。自らを特定の思想に分類することなく、抗いがたい力に翻弄される個人の精神のありようを、静かな筆致で捉えた作品である。
💰 この本を応援する(投げ銭)
とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。
思へば小学校の頃からだ。
例へば夏休みも近づかうといふ暑い日に、
唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー
すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。
格別、先生の口唇が、鼻腔が可笑しいといふのぢやない、
起立して、先生の後から歌ふ生徒等が可笑しいといふのでもない、
それどころか、俺は大体、此の世に笑ふべきものがあらうとは思つちやゐなかつた。
それなのに、とど、笑ひ出さずにやゐられない。
すると先生は、俺を廊下に立たせるのだつた。
俺は風のよく通る廊下で、随分淋しい思ひをしたもんだ。
俺としてからが、どう反省のしやうもなかつたんだ。
別に邪魔になる程に、大声で笑つたわけでもなかつたし、
それにしてもだ、先生がカン/\になつてたことは事実だし、
先生自身何をそんなに怒るのか知つてゐぬらしいことも事実だし、
俺としたつて意地やふざけで笑つたわけではなかつたのだ。
俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思ふのだつた。
大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。
やがて俺は人生が、すつかり自然と遊離してゐるやうに感じだす。
すると俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。
格別俺は人生がどうのかうのと云ふのではない、
理想派でも虚無派でもあるわけではない。
孤高を以て任ずるなどといふのぢや尚更ない。
しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。
どうして笑はざゐられぬか、実以て俺自身にも分らない。
しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやといふほど味はつてゐる。
(一九三七・七・一二)
完