私本太平記
本文約115,100字 ・ 読了時間 約231分
あらすじ(AIが作成しました)
足利尊氏と直義の兄弟は、母を都へ迎え入れ、新たな朝廷と室町幕府の礎を築く。一方、後醍醐は吉野へ逃れ、これにより国土は北朝と南朝に分裂する。時代は南北朝の動乱へと突入し、足利氏の内部抗争や数々の謀略、そして悲劇的な戦火が人々の運命を翻弄する。この作品は、尊氏らを中心に、終わりの見えない混迷の世を生き抜く人々の苦悩と無常観を描く。
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国土病む
直義は残って、なお重臣たちと、今後の方針をかためあった。
御逃亡の君については、詮議はもちろん、尊氏の意を服膺して、むしろ予想しうる二次、三次のそなえに心をくばるべきであるとし、ほどなくみな、退出した。
そのあと。
直義は、広間から兄のいる一殿へ渡って行った。――なにかよい話があるといわれたが、どんな話が自分を待つのか。――彼もいまは、いつものおちつきにもどっていた。
彼を見ると、尊氏は、
「すぐ、正月だなあ」
と、言った。
話は、そんなことばからほぐれてゆき、――全然、時局のことではなかったのである。
「ほかでもないが弟。近々に、上杉重能がお供して、母者をこれへおつれして来るぞ。……どうだ、うれしかろうが」
「えっ、母上を」
「元弘いらい、ほとんど、別れ別れ、親と子、ひとつにいたこともないわしたちだった。父貞氏どのの御逝去のころを境に、世は大乱にむかい、われらは戦陣また戦陣――。母者もまた、あの鎌倉から三河、伊吹、さらには丹波の山奥と、流転に流転をかさねられた……。おもえば御不幸なお方ではある」
「上杉伊豆(重能)の領地、丹波の梅迫へと、夏ごろ、ひそかにお移りとは、かねて伺っておりましたが」
「む、一ト頃は、伊吹もあやうく、そのため、道誉の手で、梅迫の光福寺(現・安国寺)へ御避難をおすすめ申しおいたもの。……じつは、尊氏自身で、丹波へお迎えにとも考えたが、都の留守も案じられ、佐々木道誉を、数日前に、わしの代りにつかわしておいたのだ。……思えば、これは虫の知らせであったらしい」
「ははあ。それは僥倖でしたな。もし後醍醐の件が、御不在中のことでもあったら、どんな大混乱となっていたかわかりません。それにつけ、都もまだこんなありさまでは、せっかく母上をお迎えしても、いつまた、いかなる変を見まいものではなく、それがまた、兄者の御負担になりはいたしませぬか」
「いや。わしとおまえとの、兄弟の心次第だろう。そとの敵は、あらまし、恐れるにはたらん。……かつはまた」
と、尊氏は、あらたまって、こう言った。