本文へ移動
TORENDIA

小照

本文約1,000字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

三鷹の自宅を訪れた出版社の担当者から井伏鱒二の作品集への寄稿を依頼された太宰治は、かつて本人と交わした執筆の約束を思い出し、困惑しつつも執筆を引き受ける。恩人である井伏の素顔や人となりを回想しながら、作家としての苦悩と、井伏が持つ独特の厳しさや優しさについての考察を綴る。対象への深い敬愛ゆえに筆が進まない複雑な心境と、恩人に対する率直な観察眼を込めて、師との交流の一端を描き出す。

太宰治

速度
🎧 小照 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

いつも自分のところへ遊びに來てゐる人が、自分の知らぬまに、自分を批評してゐるやうな小論文を書いてゐるのを、偶然に雜誌あるひは新聞で見つけた時には、實に、案外な氣がするものである。その論の、當、不當にかかはらず、なんだか水臭い、裏切りに似たものをさへ感ずるのは、私だけであらうか。こんど改造社から、井伏さんの作品集が出版せられるさうだが、それに就いて何か書け、と改造社のM君に言はれて、私は、たいへん困つたのである。私の家は、東京府下の三鷹町の、ずゐぶんわかりにくい謂はば絶域に在るので、わざわざ此の家にまで訪れて來るのは、よほどの苦勞であらうと思はれる。事實、M君は、たいへんの苦勞をして私の家を搜し當て、汗を拭きながら、「何か一つ、井伏さんに就いて。」と言ひ給ふのである。私は恐縮し、かつは窮した。私は今まで、井伏さんには、とてもお世話になつてゐる。いまさら、井伏さんに就いて、書きにくいのである。前にいちど、井伏さんの事を書いて、そのとき、井伏さんに「もう書くなよ」と言はれ、私も「もう書きません」と約束をした事があつたのだ。どうも、書きにくい。けれどもM君は、遠路わざわざやつて來られて、私に書けと言ふのである。私は、弱い男らしい。斷り切れなかつたのである。M君の濶達な人徳も、私に斷る事を不可能にさせた一因らしいのである。とにかく私は、ひき受けたのである。書かなければなるまい。井伏さん、御海容下さい。

何を書けばいいのか。十數年前、私が東京へ出て來て、すぐに井伏さんのお宅へ行つた。その時、井伏さんは痩せて、こはい顏をしてゐた。眼が、たいへん大きかつた。だんだん太つた。けれども、あの、こはさは、底にある。

こんな事を書いてゐながら、私は、私の記述の下手さ加減、でたらめに、われながら、うんざりする。たかだか、三枚か四枚で、井伏さんの素描など、不器用な私には出來るわけがないのだ。

太宰治の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本