古典風
本文約10,300字 ・ 読了時間 約21分
あらすじ(AIが作成しました)
伯爵の嗣子である美濃十郎は、ある下婢をめぐり、また自身の退廃的な生活を綴った手帖を拾われるなど、奇妙な日々を送る。一方、没落した三味線職の長女である尾上てるは、美濃家へ奉公に入り、手帖の秘密を知りつつも、美濃と身分を超えた関係を持つ。二人は互いに死なないことを約束して歩み寄り、葛藤を抱えながらも、やがて美濃は他家の娘と結婚するに至る。没落する階級の中で生きる男女の複雑な関係と愛を描く物語。
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――こんな小説も、私は読みたい。(作者)
A
美濃十郎は、伯爵美濃英樹の嗣子である。二十八歳である。
一夜、美濃が酔いしれて帰宅したところ、家の中は、ざわめいている。さして気にもとめずに、廊下を歩いていって、母の居間のまえにさしかかった時、どなた、と中から声がした。母の声である。僕です、と明確に答えて、居間の障子をあけた。部屋には、母がひとり離れて坐っていて、それと向い合って、召使いのものが五、六人、部屋の一隅にひしとかたまって、坐っていた。
「なんです。」と美濃は立ったままで尋ねた。
母は言いにくそうに、
「あなたは、私のペーパーナイフなど、お知りでないだろうね。銀のが。なくなったんだがね。」
美濃は、いやな顔をした。
「存じて居ります。僕が頂戴いたしました。」
障子を閉めもせず、そのまま廊下をふらふら歩いていって、自分の寝室へはいった。ひどく酔っていた。上衣を脱いだだけで、ベッドに音高くからだをたたきつけ、それなり、眠ってしまった。
水を飲みたく、目があいた。夜が明けている。枕もとに小さい女の子がうつむいて立っていた。美濃は、だまっていた。昨夜の酔が、まだそのままに残っていた。口をきくのも、物憂かった。女の子には見覚えがあった。このごろ新しく雇いいれたわが家の下婢に相違なかった。名前は、記憶してなかった。
ぼんやり下婢の様を見ているうちに、むしゃくしゃして来た。
「何をしているのだ。」うす汚い気さえしたのである。
女の子は、ふっと顔を挙げた。真蒼である。頬のあたりが異様な緊張で、ひきつってゆがんでいた。醜い顔ではなかったが、それでも、何だか、みじめな生き物の感じで、美濃は軽い憤怒を覚えた。
「ばかなやつだ。」と意味なく叱咤した。
「あたし、」下婢は再びうなだれ、震え声で言った。「十郎様を、いけないお方だとばかり存じていました。」そこまで言って、くたくた坐った。
「ペーパーナイフかね?」美濃は笑った。
女は黙って二度も三度もうなずいた。そうして、エプロンの下から小さい銀のペーパーナイフをちらと覗かせてみせた。
「ペーパーナイフを盗むなんて、へんなやつだ。でも、綺麗だと思ったのなら仕様が無い。」