推賞寸言
本文約730字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
田舎の茶室で味わった一杯の湯が宇宙を象徴する趣深さを、著者は読書体験に重ね合わせる。近松秋江の「当世胸算用」に見られる悠々とした筆致と、嘉村礒多の「秋立つまで」が持つ自然の飄逸味に対し、秀でた作品が読者に与える和やかな妙味を論じる。自身の読書を通じて感銘を受けた二つの短編小説を優れた逸作として紹介し、その芸術的な魅力を簡潔な言葉で綴る随筆である。
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田舎の明るい竹林のほとりに住んでゐる、私の或る知人の簡素な茶室に、一幄の懸物がかゝつてゐた。たしか五つの漢文字であつたが、うろ覚えだから誌すのは遠慮しておくが、私がその意味を問ふたら、これは、斯うして小さな一つのひしやくを持つて、一杯の湯を酌む――が、この一つの小さなひしやくを持つて酌んだ一杯の湯は、即ち一杯の宇宙を酌んだものである――と云ふやうな意味のことを説明された。私は、感心し、愉快であつた。そして私は、すゝめられた茶に不思議に微妙な、そして広大な風味を覚えながら、懸物の文字を眺めたことがあつた。
その後私は、佳き作品に出遇ふと屹度あの時の光景を思ひ出すのである。
変な前置を誌してしまつたが。
私は、この間「経済往来」(十一月号)で「当世胸算用」(近松秋江作)を読んで非常に感心した。沁々と、大家の作である――と思つた。正に、あの竹林の茶室で味ふた一喫の茶の味であつた。
その筆致の、悠々として迫らざる、その態度の清澄を極めたる着実さ、その微妙な人心の生むいとも朗らかな自然の飄逸味に、私は惻々と、胸を打たれながら読了した。
題材を特に云々するわけではない。作品としての傑れたる味はひである。佳き作品は、その題材の如何を問はず、何んな読者にも和やかな妙味を覚えしむるものである――など今更のやうに考へた。
その他「新潮」所載、嘉村礒多作、「秋立つまで」に感嘆した。
余白がないから、「当世胸算用」に就いても、「秋立つまで」に関してもいろいろなことは述べきれぬが、逸作であるといふことの吹聴だけで沢山だらうと思はる。未読の方に、すゝめたい。
今月は、未だ以上の二雑誌で、この二作しか読んでゐないのであるが、共々に稀なる作品であつたといふことは、近来の快事であつた。
完