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TORENDIA

熱海へ

本文約10,100字 ・ 読了時間 約21分

あらすじ(AIが作成しました)

父が長期間家を空けている現状を不満に思う息子は、母や周子との酒席で苛立ちを隠せない。互いに非難し合いながらも酔いに任せて関係をこじらせる家族に対し、息子は憤りとともに閉塞感を抱く。母が熱海へ去った翌日、酒に酔った父と周子を前にした息子は、感情を抑えきれず唐突に一家で熱海へ向かうことを提案し、停滞した家庭の状況を打破しようと試みる。

牧野信一

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彼は徳利を倒にして、細君の顔を見返つた。

「未だ!」周子はわざとらしく眼を丸くした。

「早く! それでもうお終ひだ。」特別な事情がある為に、それで余計に飲むのだ、と察しられたりしてはつらかつたので、彼は殊更に放胆らしく「馬鹿に今晩は寒いな。さつぱり暖まらないや。」と附け足した。だが事実はもう余程酔つてゐたので、嘘でもそんな言葉を吐いて見ると、心もそれに伴れて、もつと何か徒らなことでも云つて見たい気がした。だけど、母も周子も、手際よく顔付きだけはごまかしては居たが――それは一層彼にしては堪らない同情のされ方で、普段ならばもう大概母が断わる頃なのにも関はらず、

「全く今晩は寒い、ひよつとすると雪かも知れない。」などゝ云ひ乍ら母は酒の燗をした。

「もう今日で五日位ゐになるかしら、お父さん?」と周子は彼に云つた。彼と母ではこれ位ゐのことでも口には出せなかつた。

「さつきの電話の様子ぢや黒川さん達はゆうべお帰りになつたらしいぢやないか。」斯う答へただけで彼は、母に間が悪かつた。「それとも、また別の用でも出来たのかしら!」

「丁度五日目になる。」と云つて母は横を向いた。

母も彼も、父か何をしてゐるか知つてゐた。だが二人の間では父を非難するには「仕事」にかこつけるより他はなかつた。「大損をしやアしないかしら。」とか「何処の男とも知らない人間などゝイヽ気になつてつき合つてゐて、後で欺されるんぢやないかしら。」などゝ云ふ言葉を用ひるのだつたが、時には彼ですら母が余り言葉を妙な処に避けてゐるのに擽つたくも思つた。「私の手前もはゞからず……余り口惜しいことだ。」一層斯う云つて了ふ方が正直で清々しやアしないかなどゝ思ふこともあつた。だが周子の云ひ方は、母や彼の顔をあかくさせることが多かつた。

「此頃忙しいことは確かだ。だけど斯う家をあけるのはよくない。」彼は、いかにも分別あり気にそんなことを云つた。

「あなただつて此間、日帰りだと云つて東京へ行つて五日も帰らなかつたぢやないの。」

「俺とはわけが違ふ。」と彼は苦々しく云つた。

「違はないわ。同じわけよ。」

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