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TORENDIA

しゃりこうべ

本文約3,900字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

晩になると決まって電燈の下に座り、子供や孫に小言を言い続ける老いた人物の姿を描く。その姿は宿命のように家々に染みつき、人生の終わりを見届けるかのように凝然と存在し続ける。ある時、その人物は自身が対峙するしゃりこうべから死の予兆と諭しを告げられるが、それを拒絶し、なおも執念深く自身の生と価値観を次世代へ引き継ごうとする。本作は、死してなお離れがたい執着と、移ろいゆく人生の空虚な連鎖を幻想的な筆致で綴る。

室生犀星

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🎧 しゃりこうべ / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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電燈の下にいつでも座っているものは誰だろう、――いつだって、どういう時だって、まじまじと瞬きもしないでそれの光を眺めているか、もしくはその光を肩から腰へかけて受けているかして、そうして何時も眼に触れてくるものは、一たい何処の人間だろう、――かれはどういう時でも何か用事ありげな容子で動いているが、しかしその用事がなくなると凝然と座ってそして物を縫うとか、あるいは口をうごかしているとか、または指を折って月日の暦を繰っているかしている、――かれのまわりには白い障子と沈丁花のような電燈とが下っているだけだ。

誰でもこんな姿を見たことがないか――あるいは五年も十年もさきから、いつだって晩にさえなれば形紙の中から抜け出した蝙蝠色をした姿を、おのれの住家の中に――飽き飽きしながらもその影を除くことのできないようにして座っているではないか――よく考えて見てもそんな人間に知り合いはないが、よくよく見ると見覚えのある毎日見る顔で、毎日見ているために何時の間にか忘れ果ててしまっているような顔付で、そうして急にはちょっとは思い出せない顔付――そういう馴れきった顔つきであるために、心には何も残していないようで、とうていその顔付から遁げ出すことのできない宿命じみた蒼白い顔付――それが春夜にもなお電燈の下に座っている――。

晩になると一軒の家にきっとこんな姿が決って座っている。どんなところにも黙りこくって、考え込んで、考え込むために黝ずんだ姿で、季節はずれの菌のように湿っている――それは客間でも座敷でも茶の間でも、あかるい電燈の下にはいつでもきちんと座って、十年が二十年でも、そうしてこの世の終りまでも見とどける心がけで、この世の終りはきっと自分だけが居残るだろうという自信をもって、実際は見とどけ過るような長生きの前例で、さもしくしかしこっそりと一人で微笑んで座っている、――このおしの強いどうにもならない宿命じみた陰影をどうしたって追い払うことはできない、――明るければ明るいほどこの姿は濃い――消えてゆくような影や形ではない。

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