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TORENDIA

茶碗の曲線

本文約4,700字 ・ 読了時間 約10分

あらすじ(AIが作成しました)

考古学を専攻した弟が試みた、土器の型式を数学的に分析する研究の顛末を綴る。著者は、土器や木の枝ぶりといった全体的な「型」を、科学的な分析で解明しようとする困難さを論じる。分析の手法では捉えきれない、感性で受け取る本質的な美しさや生命の神秘について考察し、科学の限界と、科学とは異なる次元に存在する価値について、茶道の在り方を例に挙げながら思索を深めていく。

中谷宇吉郎

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🎧 茶碗の曲線 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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もう二十年以上も昔の話であるが、考古学を専攻していた私の弟が、東大の人類学教室で、土器の研究をしていたことがある。

その頃は、まだ今日のように、土器の型式による分類などは、ほとんど出来ていなかった。弟はその分類の仕事にとりかかって、何か科学的な分類法がないかと、いろいろ考えていた。

土器の形は、個々の標本では、もちろんそれぞれ著しく異るが、特定の地域から出る或る時代と推定される土器をたくさん集めて、全体として見ると、その間に共通した一定の型式がある。それによって、何々式という名前が与えられ、大まかな分類がなされていたのである。

こういう分類の方法は、土器と限らず、いわゆる美術骨董品などの鑑定には、度々用いられているやり方である。たとえば、鍍金仏などを専門家が一眼見て、これは六朝だとか、もう少し旧いとかいうようなことをいうのは、皆この型式を見るわけである。仏像とか、絵とか、道具とかいうものは、形が非常に複雑であり、その上色だの、材質だのが、変化無限であるから、科学の方でやっているような簡単で明瞭な分類というものは到底出来そうもない。その点、土器は形も簡単であり、色や材質の差も少いので、こういう研究目的には、恰好の材料である。

ここで科学的の分類という言葉の意味を、ちょっと説明しておく必要がある。科学的というのは、普遍的な客観性をもつということである。といっても何もむつかしいことではなく、特定な人でなく、誰にも分るという意味である。

ものには量と質とがあって、たいていの場合、量の方が質よりも分りよい。二つ茶碗を並べた場合、大小は誰にも分りまた議論の余地もないが、どっちが旧いとか、枯れているとかいうようなこと、即ち質の問題は専門家でないと分らない。土器の型式というようなものも、もちろん質的な話であって、量的ではない。従って専門家でないと分らない。もし専門家の間に異説があれば、いずれが正しいかを決定することは困難なので、いわゆる権威の説に従うより仕方がない。

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