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TORENDIA

美食多産期の腹構え

本文約1,600字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

栄養薬としてカロリーやビタミンを計算し、効率のみを求める現代の食事に対する警鐘を鳴らす。美味いものを追求する努力こそが心の充足と健康をもたらすと説き、自らの経験を基に美食の喜びを綴る。秋から春にかけての美食多産期に向けた腹構えを提唱し、能登のこのわたやくちこ、瀬戸内海の旬の魚介など、四季折々の食材を通じて得られる至福の体験を具体的に描き出し、日本に住まうことの食の幸せについて考察を深める。

北大路魯山人

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🎧 美食多産期の腹構え / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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心のおもむくままに、いつも美味いものを食って、心の底から楽しんでみたい。朝も昼も晩も。犬や猫のように、宛てがい扶持の食事に、その日その日をつづけることは、肉体は生きられるとしても、心の楽しみにはならない。心に楽しむ料理なんて考えても縁遠い。食って生きて行きさえすれば、それで結構なんだ。安価で栄養価値のあるもの、それで充分じゃないか、今の世の中はと。エネルギーのない多くの人々はこれを常識として、栄養不良というやくざ人間をつくり出している。これが当世らしい。心に楽しむ余裕を持っていないのだろう。持っていても、極めて消極的で、あさはかなものらしい。

カロリー、ビタミンを一々気にする料理は、実を言うと栄養薬であることに気がつかない。だから美味くない。美味くない食事から充分に栄養を摂らんとするのは不合理に考えられるが、そこまで考えている者は稀なようである。

このことは日本人は言うに及ばず、外国人も同様らしい。アメリカの都市を観て歩いても、実に薬品店の多いのに驚かされる。ヨーロッパもその通り、よろめき歩く死一歩手前の老人の多いのに驚かされた。弾力ある青年時代の無鉄砲の酬いと見て間違いはあるまい。栄養薬的食事も一応は隆々たる筋肉をつくってくれる時代があるようだが、弾力ある精神にまではおぼつかないのではないか。ヨボヨボ老人の多数が公園に憩う風景を先進国に見る事実は、とくと考えて見る必要があろう。私の言う栄養薬的料理、それは小児あるいは自由を拘束されているような人間だけにして、その他は各自の自由にまかせて勝手気儘に心の底から楽しめる食事を摂れば、カロリーがなにほど、ビタミンがどうのと考えなくても、おのずから健康はつくられると私は信じている。

しかし、美味いものを食いつづけようとするには、もちろん知識も要る。経験も要る。努力もしなければ発見ができない。しかし、この努力はまことに楽しい努力であって、苦労にはならない。

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