瀬戸黒の話
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あらすじ(AIが作成しました)
瀬戸黒の堅陣な黒厚釉の美しさを論じ、日本の陶器が持つ強さと美、そしてその時代背景を考察する。古備前などの無釉陶に見られるわびさびの美学に触れつつ、茶碗制作の理想的な標準として瀬戸黒を挙げる。また、陶磁器の様式が当時の気風や権力者といった時代状況からいかに影響を受けるかという、陶器と時代の密接な関わりを紐解き、日本における陶芸の黎明と継承されるべき美のあり方を綴る。
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瀬戸黒だね、俺が茶碗を作るとしたら。その標準となるものは、最近見たものの中ではまずこれが良い。根強い強さに恐ろしい美しさを持っている。この強さを持つ、この美しさをもつ工人が数知れず瀬戸赤津にいるのだというが、この集落の人たちは今後なにを生んで見せることであろう。いやいやすでに純白の茶碗に豪壮単純な絵を描き、前代未聞の茶碗を作ったそうな。それが朝鮮の真似でもなく、中国の発明に拠るものでもないそうな。こうなるべきだとは思っているが、いよいよ日本の陶器界にも黎明が訪れたというものである。
日本の過去に生まれた陶器、それには白色の陶器こそないが、底力の強い無限に美しいものは多々ある。まず無釉陶にえも言われぬ立体美の数々が見られる。
古備前などに見られる美しさ、強さというものは、まことにすごいという他はない。実に良いものだ。わびとも言えれば、さびとも言える代表的な美産である。大変な土の民がいるものだ。美しい日本の国なればこそ美しいものが生まれる。それは当然なことであるが、物を前にしては理屈抜きに頭が下がる。しかし、それも今ではそれが出来ないようである。年代が下った、人が変った、年とともに人は弱くなるようだ。力の弱くなった美しさは、こたえが薄い。
瀬戸黒の堅陣な黒厚釉、これは、なかなかの工夫で、ここに到るまでが大変なことだ。自分の今後作る茶碗と言うものに教えられるものが多々ある。ありがたいことだ。手を合わして、瀬戸黒の創始者に感謝する。
考えて見れば、織田信長の気風が見えるではないか。時代というものは妙なもので、誰がどう教えなくとも、おのずと生まれざるを得なくて生まれるものだ。高麗青磁も李朝この方は生まれ出ないが、高麗時代には、あのような妙技がこともなげに無数に生まれ出たのだ。信長様についで太閤殿下の時代となったが、ご当所の性格を描き出したような鷹揚なものばかりが生まれている。時代こそ生みの親である。信長、秀吉、黒茶碗、感じが実に似かよっている。一つの時代という親が生みつけたからだ。
(昭和二十八年)
完