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TORENDIA

夢

本文約12,400字 ・ 読了時間 約25分

あらすじ(AIが作成しました)

夢を語る是非について論じる随筆。痴人に対して夢の話をすることは無意味だが、達人にはそのあこがれを通して命運を達観させる意義があると説く。著者は、日米開戦を予見したような空襲の夢や、戦後の農村で政治を握る僧侶たちとの遭遇など、支離滅裂ながらも鮮明な記憶に残る夢の体験を綴る。精神分析的な解釈の可能性にも触れつつ、夢の中に現れる不思議な光景や感覚の背後にある、自身の無意識の真相や人格成長の兆しについて考察する。

和辻哲郎

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夢の話をするのはあまり気のきいたことではない。確か痴人夢を説くという言葉があったはずだ。そう思って念のために辞書をひいて見ると、痴人が夢を説くというのではなくして、痴人に対して夢を説くというのがシナのことわざであった。夢の話をすること自体が馬鹿げたことだというのではない。痴人に対して夢の話をするのが馬鹿げているというのである。そうなると大分むつかしくなる。どうしてそれが馬鹿げているのであろうか。反対に、賢人に対して夢の話をしても馬鹿げたことにならないのはなぜであろうか。それに対するシナ人の答えは、痴人ノ前ニ夢ヲ説クベカラズ、達人ノ前ニ命ヲ説クベカラズという句に示されているように見える。これは陶淵明の句だと言われているが、典拠は明らかでない。とにかく、すでに命を十分に体得している達人に対して、今さら命を説くのが馬鹿げているように、到底現実となり得ないような夢にあこがれている痴人に対して、さらに夢を説いて聞かせるのは、馬鹿げたことだという意味であろう。夢にあこがれている痴人に対してなすべきことは、人力のいかんともなし難い命運を説いて聞かせることである。そのように、命を悟ってあきらめに達している賢人に対しても、夢を説いて聞かせるのは無意味ではあるまい。夢へのあこがれがどれほど現実に動いているかを痛感させてやれば、命運で割り切ってあきらめの底に沈んでいる達人も、なんとかしなくてはという気持ちで、動き出してくるかも知れない。あるいはまたそういう達人は、夢の話を聞いて、その底に動いている命を達観し、それを解りやすく教えてくれるかも知れない。従って達人に対して夢を説くということは、少しも馬鹿げたことではない。これが陶淵明の句から当然帰結されてよい考えだと言ってよかろう。

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