錢形平次捕物控
本文約24,400字 ・ 読了時間 約49分
あらすじ(AIが作成しました)
吾妻屋永左衞門は、かつて名高い太夫であった妻のお染をめぐり、浪人の大井久我之助から暗討に遭う。その後、吾妻屋の主人である永左衞門が不審死を遂げる事件が発生。銭形平次は、お染の弟として暮らす美少年・米吉や、かつての客である伊豆屋の虎松が渦中にいることを突き止める。平次は複雑に絡み合った人間関係と、徳利をすり替える巧妙な手口を解き明かし、事件の背後に潜む恐ろしい情愛と執念の真相に迫っていく。
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一
運座の歸り、吾妻屋永左衞門は、お弓町の淋しい通りを本郷三丁目の自分の家へ急いでをりました。
八朔の宵から豪雨になつて亥刻(十時)近い頃は漸くこやみになりましたが、店から屆けてくれた呉絽の雨合羽は内側に汗をかいて着重りのするやうな鬱陶しさ――。
永左衞門は運座で三才に拔けた自分の句を反芻しながら、それでも緩々たる氣持で足を運んでをりました。
眠さうな供の小僧を先に歸して、提灯は自分で持ちましたが、傘と兩方では何彼と勝手が惡く、少し濡れるのを覺悟の前で、傘だけは疊んで右手に持ち、五六軒並んだ武家の屋敷を數へるやうに、松平伊賀樣屋敷の側へヒヨイと曲つた時でした。
「え――ツ」
まさに紫電一閃です。いきなり横合から斬りかけた一刀、闇を劈いて肩口へ來るのを、
「あツ」
吾妻屋永左衞門、僅かにかはして、右手に疊んで持つた傘で受けました。刄は竹の骨をバラバラに切つて、辛くも受留めましたが、二度、三度と重なつては、支へやうはありません。
朔日の夜の闇は、雨を交へて漆よりも濃く、初太刀の襲撃に提灯を飛ばして、相手の人相もわかりません。
幸ひ、吾妻屋永左衞門、若い時分町道場に通つて、竹刀の振りやうくらゐは心得てゐました。二た太刀三太刀やり過したのはそのお蔭といふよりは、暗とぬかるみのせゐだつたかも知れませんが、兎も角も、雨合羽を少し裂かれただけで、大した怪我もなく、松平伊賀樣前の、自身番の灯の見えるところまで辿り着いたのは、僥倖といふ外はなかつたのです。
「えツ、面倒」
疊みかけて襲ひかゝる曲者の刄は、灯が見えると、一段と激しさを加へました。吾妻屋永左衞門、それを除けるのが精一杯。が、終に運命的な瞬間に近づきました。
後ろすさりの永左衞門、とうの昔に高足駄は脱ぎ捨ててをりましたが、道傍の石に足を取られ、物の見事にぬかるみの中に引つくり返つたのです。
今ぞ觀念と、振り冠つた曲者の刄、
「あツ、大井、大井久我之助樣」
自身番の灯が細雨を縫つてサツと、曲者の顏を照らし出したのです。
それは弓町に住む浪人者で、同じ道に親しむ、青年武士――ツイ先刻まで、同じ俳筵に膝を交へて、題詠を競つた仲ではありませんか。