可哀想な彼女
本文約2,700字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
初七日の朝、亡き妻との記憶について子供と対話した語り手は、妻が生前に見せていた優しい表情を思い返す。結婚十七年の生活を振り返り、震災後の日暮里での幸福な日々から、自身の勤め人としての生活や作家としての信念が家庭に与えた影響を回想する。妻が心に抱えていた苦悩を理解しつつ、彼女の存在をあらためて見つめ直すとともに、残された子供とのこれからについて思いを馳せる様を綴る。
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初七日の朝、わたくしは子供に訊いた。
『お前、おい、ママの顔をおもひ出すことが出来るか?』
『出来るよ。』
『どんな顔をおもひ出すことが出来る?』
『機嫌のいゝ顔だね。』
子供のさういつたやうに、わたくしにも、いまは亡きかの女の機嫌のいゝ顔しか感じられないのである。……といふことは、かの女の去つたいま、わたくしに、素直な、やさしい、もの分りのいいかの女しか残つてゐないのである。……しかも、この一二年、わたくしのそばから、さうしたかの女はいつとはなしそのすがたを消してゐたのである。……さうしたかの女を完全にわたくしは失つてゐたのである。……
『だつて、ママ、体がわるくなつてからは、始終お前に小言ばかりいつてゐたぢやアないか?』
『…………』
『いつにも機嫌のいゝ顔なんかみせたことがなかつたぢやアないか?』
『…………』
『だのに、どうして?』
『だつてしやうがない。』
子供はこたへた。……急にわたくしの目からなみだが溢れた。
可哀想なかの女。……どうして、かの女は、その素直だつた、やさしかつた、もの分りのよかつたかの女を、自分から否定しなければいけなかつたのか?
体のわるくなつたことによつてさうなつたのでなく、さうなつたことによつてかの女の体はわるくなつたのである。……わたくしは知つてゐる。……
結婚して十七年、かの女にとつて最も幸福だつたのは、震災後の、日暮里に於けるはじめ五六年の生活だつたらう。
それまで、わたくしたちは、親たち及び親たちの家族とゝもに一つ屋根の下に住みつゞけた。……といふことは、舅、姑、小姑たちの目を身辺に感じつゝかの女は、四年あまりといふもの、肩身狭く生活しつゞけたのである。
親に早くわかれ、姉の手一つに育つたかの女にとつて、どんなに、辛い、心細いことだつたらう。
が、かの女は、決してその辛さ心細さをどこにむかつて訴へなかつた。……一人その気苦労の無理をとほしつゞけた。……その、舅の、姑の、そして小姑たちの目を、右にひだりにそらしつゞけつゝ、かの女の眉はつねに明るかつた。