初七日の朝、わたくしは子供に訊いた。
『お前、おい、ママの顔をおもひ出すことが出来るか?』
『出来るよ。』
『どんな顔をおもひ出すことが出来る?』
『機嫌のいゝ顔だね。』
子供のさういつたやうに、わたくしにも、いまは亡きかの女の機嫌のいゝ顔しか感じられないのである。……といふことは、かの女の去つたいま、わたくしに、素直な、やさしい、もの分りのいいかの女しか残つてゐないのである。……しかも、この一二年、わたくしのそばから、さうしたかの女はいつとはなしそのすがたを消してゐたのである。……さうしたかの女を完全にわたくしは失つてゐたのである。……
『だつて、ママ、体がわるくなつてからは、始終お前に小言ばかりいつてゐたぢやアないか?』
『…………』
『いつにも機嫌のいゝ顔なんかみせたことがなかつたぢやアないか?』
『…………』
『だのに、どうして?』
『だつてしやうがない。』
子供はこたへた。……急にわたくしの目からなみだが溢れた。
可哀想なかの女。……どうして、かの女は、その素直だつた、やさしかつた、もの分りのよかつたかの女を、自分から否定しなければいけなかつたのか?
体のわるくなつたことによつてさうなつたのでなく、さうなつたことによつてかの女の体はわるくなつたのである。……わたくしは知つてゐる。……
結婚して十七年、かの女にとつて最も幸福だつたのは、震災後の、日暮里に於けるはじめ五六年の生活だつたらう。
それまで、わたくしたちは、親たち及び親たちの家族とゝもに一つ屋根の下に住みつゞけた。……といふことは、舅、姑、小姑たちの目を身辺に感じつゝかの女は、四年あまりといふもの、肩身狭く生活しつゞけたのである。
親に早くわかれ、姉の手一つに育つたかの女にとつて、どんなに、辛い、心細いことだつたらう。
が、かの女は、決してその辛さ心細さをどこにむかつて訴へなかつた。……一人その気苦労の無理をとほしつゞけた。……その、舅の、姑の、そして小姑たちの目を、右にひだりにそらしつゞけつゝ、かの女の眉はつねに明るかつた。